2013年11月12日火曜日

【にわかAVマニアの伝説】 ジェイムズ・B・ランシング物語 読了

ハイエンドオーディオショーを見学し、JBLのエベレストに感銘を受けたので、「JBL物語」という本を読んでみました.JBLという社名は創立者のジェイムズ・バロー・ランシングのことなんだと知りました.
あと、JBLに憑きもののようについて回るハーマンという会社はJBLの親会社なのだそうです.ひら的にはハーマンというとガンダムのこの人のことを思い出しちゃうんですが、それはさておきJBLの歴史を紐解いてみよう.
まず、ランシングさんの御真影から.ランシングさんの写真はあまり多くはないようで、有名なのはこの横顔写真です.1902年生誕の電気少年だったそうです.1927年、当時流行のラジオの音質がプアなので高音質化するために、「ランシング・マニュファクチャリング」を設立.1930年代になるとトーキー映画への投資が活発化し、ラジオで有名だったランシングに映画館用のPAシステムの開発依頼が来る.
それで1934年に発表した「ランシング・シャラー・ホーン」というシステムがこれ.2wayですかね? 当時の主流だった映画館用スピーカーシステムが100~5kHzぐらいの音域しかなかったのに比べると格段に高性能だったそうで、いきなりアカデミー賞を受賞する.
JBLと並んでよく出てくるのが「アルテック」という社名ですが、これはウエスタン・エレクトリックが独禁法で分割されて作られた会社だそうです.1941年、経営難だった「ランシング・マニュファクチャリング」は「アルテック」に身売りする.ランシングさんも、アルテックの社員みたいな地位になる.新社名は「アルテック・ランシング・コーポレーション」になった.JBLとアルテックのことを兄弟会社みたいに言うのはこういう事情があったからなんですね.

アルテック・ランシングで働いていた期間にも名器と言われる数々のスピーカーをリリースしたランシングさんでしたが、5年間の契約が切れた1946年に、再び独立し「ジェイムズ・B・ランシング・サウンド・インコーポレート」を設立し、これが現在のJBLに至る.

しかし名声とは裏腹に経営は安定せず、各方面からの資金援助を受けたものの資金繰りに窮し、1947年、疲れ切ったランシングさんは自殺してしまうのです.遺書等はなかったといいます.すばらしい才能があったのに45歳という若さでの他界は残念です.

ランシングさんの死後、1950年代に入るとレコード産業が活発化し、一般家庭でもHiFiオーディオが志向されるようになった.これは「ハーツフィールド」と呼ばれる名器で、1955年頃には先行するアルテックを押しのける勢いでJBLサウンド社はすっかり有名になっていた.
1955年、「ランシング」がアルテック社との商標で揉めたこともあって、あのおなじみの!JBLへと社名が変更される.ようやくわたしの知るJBLになりました.
1957年、有名なといってもわたしは知らなかったが「パラゴン」をリリース.一般家庭向けのステレオシステムです.「シャラー・ホーン」も「パラゴン」もステルス戦闘機のエアインテークみたいなデザインです.
1960~1970年代はステレオ録音の技術革新の時代で、JBLは録音スタジオのリファンレンスを提供した.名器と謳われるのが43シリーズ.でた~っ、これ以降ですよ、わたしが知っているJBLは.中学生の頃1970年代に秋葉を徘徊すると各所にこの巨大スピーカーが鎮座していました.スピーカーというと工芸品的な見た目であることが多い中で、これは操作パネルみたいな機械的な面構えでいったいどうしたことだ?と思っておったのを思い起こします.
1969年、JBLは「ハーマン」に身売りする.その後ハーマンがJBLを売り、1977年に再びハーマンはJBLを買い戻す.この時点でJBLという法人はなくなり、それ以来ハーマン・インターナショナルの一部門としてJBLは存在している.

2006年、JBL60周年の年に発表した、「エベレストDD66000」はついに「ハーツフィールド」を越えたと言われるそうです.先日のハイエンドオーディオショーで初めてその音を聴きましたが、わたしも深い感銘を受けました.
だいたい以上がJBLの歴史です.

ラジオ→シアター→レコードスタジオ→一般家庭→テレビ と続く技術革新の揺籃期に、シアター向けシステムというプロ根性をずーっと維持し続けてきて、そういう業務用市場のガリバーであったからこそ開発力を持続できた.そういう幸運な会社のようですね、JBLという会社は.

そんなことを書くと元ソニー社員としては、ソニーと似た発展形態を感じます.ソニーの場合は、ラジオ→テープレーコダー→ビデオ→トリニトロン という流れで、やはり業務用機器のガリバーでした.JBLは今後も映画館向けのガリバー企業として存続することでしょうけれど、ソニーはそうはいきませんでした.なにが両社を分けたのか?
かつてのソニーのコアテクは電磁気学とメカトロと感性でしたが、やがて量子力学とプロセスをコアテクとする世代になり、主たる商品群(FPD,storage,Video)がコモディティ化してしまったため企業の形を持続できなくなってしまいました.
JBLは、発足の頃から今でもそして未来も、電磁気学とメカトロと感性をコアテクとして存続できると思います.うらやましいです.

あと、USAの企業って、大手はどこも政治臭を感じるじゃありませんか? IBM然り、GM然り、Boeing然り、MS然り、Intel然り、、、、USTRの圧力に屈せざるを得なかった恨みは一生忘れないからな!! という政治臭がJBLからは感じられないところが、好感を持てるところでもあります.

かしこ


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5 件のコメント:

  1. 映画音響界の雄、アルテックは独禁法で解体され、JBLのランシングを社長に迎え、アルテックランシングとして再出発、その後ランシングは抜けて独自の会社を立ち上げ、その後自殺します。
    それより後エベレストが、最高価格、最高性能として出されましたが、小生は魅力を感じませんでした、(感じても買えるはずはありませんが)

    さて話は換わって 原爆水爆に関する米ソの 実態が出ているページがあり、そこに見られる画像群は、悪夢の記録であり、日本がこれからも原発をやらないように、訴えています。
    http://www.youtube.com/watch?v=UUSqTgK9hi0
    守るためと良いながら攻撃を目的とし、同時に自らの被害も招いています。
    日本ももう十分廃棄物があり、これだけで十分な抑止力です。
    もし攻撃をすればそれらは、やがて彼らの、頭上にも降り注ぎ、世界は滅亡してしまいます。

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    1. あれは買えません.仮に買っても家に置けません.

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  2. 311もメリカだった?
    http://www.youtube.com/watch?v=W8hlWg2UISQ
    あり得る話です、しかし被害(原子炉)の割には、出ている放射能がすかないような気がして成りません、もし先に燃料を抜いていたとしたらあり得る・・理由は メリカは1つではなく、軍国主義者として目障りな所を始末したかった。(これは空母が近すぎたという事からも指摘されています、スマトラも) もう一つはasimoに対する評価が 恐怖と賞賛に分かれている、これも何かありそうです。

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  3. アポロもこれはと言う証拠が出てきた。
    http://www.youtube.com/watch?v=cjS-tu20uP0
    なんとカメラの標線の内側に被写体がある、こんな事はあり得ない。
    またアポロの宇宙服が有れば福島の事故処理操作は軽い物らしい。

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  4. レーザー反射鏡はメリカがおいてきたと思っていたが、実際はロシアソ連の無人機がおいてきて、サンプルを持って帰り、しかもコーラ瓶が有ったなんて聞くと吹き出してしまう。
    なぜこんな事までをしなければならなかったのだろう。
    メリカ市民と日本人は同じ立場にあるのか?

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