2016年9月17日土曜日

アニメ「聲の形」、終わらない半荘で妥協を学ぶ群像劇 (ネタバレ注意)

疲れた.劇場アニメ「聲の形」を観終わったときの感想です.

以下は、「聲の形」を観た昭和育ちの初老の者が、今の若いもんは!みたいな事を書いていますので、そういうのが不快な人は読まない方がいいです.また、ネタバレですので、これから「聲の形」を観る人も読まないでください.


<あらすじ>
ヒロインは、耳が聞こえない障害者.主人公は普通の男子.
小学校にヒロインが転入してくる.ヒロインは虐めに遭う.
虐めが原因でヒロインが転校してしまうと、主人公が虐めの標的になる.
高校生になっても、主人公はヒロインに対する罪悪感を抱いている.
主人公はヒロインと関係修復し、小学校時代のクラスメイトを含めた友達付き合いが再起動し、リア充へ行きかける.だが所詮はヒロインを虐めた者達のグループ、まもなく「オマエだって虐めの犯人だろーが」で揉めてグループ決裂.
ヒロインは、自分の転入が諸悪の根源だったと自分を責めて、飛び降り自殺を図る.
主人公がヒロインを助けるが、主人公が誤って転落、生死をさまよう.
主人公の入院がきっかけで、人間関係が貴方は貴方、わたしはわたし、と再定義され皆のステージが1ランク上昇して大団円.



以下は感想.


「聲の形」は人間関係の築き方を学ぶ姿を鑑賞する群像劇.それを楽しめるか否かで評価が決まる. (人間関係の築き方を学ぶ群像劇ではない)

小学生時代の虐めの罪滅ぼしを、高校生で清算するところまでが描かれている.

ヒラサカ的には、人間ってのは結構いい加減な生物で、たとえいろいろな罪があったとしても、引越ししたり転校したりして人間関係がブチッと切れたら大抵はそこでオシマイなんだよ.強固な信頼関係を築く前に、人間関係を途絶させて清算せずにオシマイになる場合の方が多い.

だから、人生って「聲の形」ほど過去と現在が密接じゃないんだけどなぁ.

麻雀では半荘が終わった時点で負け点数を帳面に記録し、再度平等に-5点から次の半荘が始まる.人生も麻雀のように、卒業したり退職したりして疎遠になって、誰かへの罪悪感も、誰かからの被害感も、清算なんか出来ないまま大脳皮質に記憶が降り積もり、新しい学校や新しい職場でリセットされたかのようなロールプレイへ没入してゆく.鬱屈していてスッキリなんかしないが、しゃーねぇわ、でダラ~っと日常が過ぎてゆく.ある意味それがリアル.

だが「聲の形」の登場人物達は、小学生~高校生まで終わらない半荘を生きていたわけだ.それはかなり長い半荘だ.西入どころではない、返り東か?

それで高校生の彼らが学んだのは、「しゃーねぇわ」だった.人生も人間関係も何らかの妥協でしかないということだ.貴方は貴方、わたしはわたし、貴方を許しはしないし、貴方を嫌いだけど、貴方がここに居ることを拒否する権限は誰にも無い、、、そういうこと.

べつに「しゃーねぇわ」を描く物語を否定はしないさ.人類補完計画だってフルーツバスケットだって似たようなテーマだからね.

ただ、「聲の形」という作品に対して半ば苦情として云いたいことがある.
「しゃーねぇわ」を描くために、身体障害者設定がどれだけ必須なのか? 虐め設定がどれだけ必須なのか? 自殺エピソードがどれだけ必須なのか? 虐められた障害者が自殺する物語じゃなくても描く余地はあったのではないか?

誰だって25歳ぐらいになればさ、日常の平凡なエピソードの積み重ねを通して、「しゃーねぇわ」を学習するのだから、障害者+虐め+自殺を通して少し早送りで学んだ登場人物達の大団円に感情移入はできかねた.

ネット小説的な、ずいぶん奇矯な物語でしたね、と思わざるを得なかった.観終わって疲れた.


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というわけで、「聲の形」に対してかなり否定的な感想を述べてしまったわけであるが、上の感想はわたしが昭和育ちゆえなのかもしれない.平成育ちにとっては人間関係は遥かに重大かつ切実なテーゼなのかもしれない.

昭和40年代なんか、まだ貧富の差がモロに見えてた時代で、ある友達は超合金をたくさん持ってたり、ある友達はラジカセを持ってたり、そういう物質的な差異を痛感して、なんかオレっていまいち、みたいなのが挫折の主だったパーセンテージを占めていたように思う.相対的に人間関係で悩み苦しむパーセンテージが低かった.人間関係であくせくするほど余裕が無かった.

一方で現代では、スマホにほとんど全ての物質的要素+情報ソース+コミニュケーションチャネルが集中的に存在していて、あと必要なのはそこに入れる人間関係のみとなっている.人間関係の毀損は何よりも恐れるべき出来事であり、友人からハブられた自分を想像するだに窒息しそうなくらい恐ろしい、、、中学生の息子の常時オンライン中毒状態を見ているとそう思える.

かように平成世代(オンライン世代)と昭和世代(オフライン世代)のメンタリティには開きがあるように思う.

本作が平成育ちの心の琴線に触れて、若い世代の支持で興行収入が伸びる可能性はあると思う.


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最後にアニメとしてどうだったか?

このカットは画面レイアウトがすげー良かった、と思ったシーンは一つもなかった.空間構成へのこだわりは無いみたい.それはそれで構わないと思う.

原作マンガのキャラをとても上手にアニメキャラにコンバートできていた.

泣ける場面はわたしには全く無かった.

おおっ、、、そう来たか、と唸らされる要素や場面は一つも無かった.

観たのは渋谷TOHOの4階の小屋だった.画面の周囲に「レンズ収差」が在ってウザかった.今まで同じ小屋で何度も映画を観たけれど、レンズ収差を感じたことなんか一度も無かったので、もしかしたら「聲の形」が意図的にやった事なのかもしれない.回想シーンではレンズ収差が大きかったりもしたので、「聲の形」の演出だったのかもしれない.真相は別の劇場へ足を運ばなければ確定できないだろうが、本作を二度観する気はない. (劇場設備のせいだったらずいぶん観客に失礼なこった)

わたしがアニメプロデューサだったら、この原作には手出ししなかっただろうなぁ.平成育ちの心の琴線にどれだけ訴求するか、その見積もりでソロバン勘定ってとこかと思う.制作費4億円で、興行収入16~20億円が目標ってとこかな? 下振れしたらBDの売上でなんとか...
本作の原作マンガ(講談社)は定評があるみたいだが、強固な原作をあまりやらない京アニが本作をアニメ制作したのは、企画が難しくて他にやりたがる制作会社が居なかったのかなと少し思った.


#興行収入はさておいて、心に入り込む系の近年の劇場作品をランクするならば、
    心が叫びたがっているんだ  >   君の名は  >  聲の形
というのが妥当な評価だろう.演出家のポテンシャルもこの順だと思う.

かしこ


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5 件のコメント:

  1. わたしは、24日土曜日に観に行く予定です。その前に22日に「君の名は」をふたたび観ます。

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  2. このコメントは投稿者によって削除されました。

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  3. 「聾の形」こんばん観に行ってきました。レイトショウだったのにすごく混んでいたな。きょうは疲れていたので、うとうとしながらの鑑賞でした。
    ヒロインの梢子さんがかわいそうだった。でもかわいかった。はやみん効果。
    aikoのEDがよかった。君の名は、よりはよかったように思えます。
    人間関係という見方はしませんでして、ヒロインと主人公の生への回帰ものという見方をしました。

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    1. ぼちぼち客が入っているようですね.

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