2017年2月21日火曜日

両親の思い出、本屋でふと思った寒いこと

皆さんは読書してますか?
わたしは読んでいるといえば読んでるかなぁ? 半年以内のAmazon注文履歴などから最近読んだ順に並べるとこんな感じです.ロクなの読んでないね.これ以外にもあるんだけど、読んでサクサク捨てちゃった本は思い出せません.ラノベが無いのは除外したからではなくラノベの文体を読むのが苦痛だから読まないんです.
・エスパー・小林の「霊」についての100の質問
・米中戦争 そのとき日本は
・花祀り
・「国家」の逆襲 グローバリズム終焉に向かう世界
・バカで野蛮なアメリカ経済
・マネーゲーム崩壊 ライブドア・村上ファンド事件の真相
・虚構 堀江と私とライブドア
・ヒルズ黙示録 検証・ライブドア
・追跡!ライブドア事件 残された10のミステリー
・中国壊死-百年変わらない腐敗の末路
・深層学習  (読みかけ)
・ポアンカレ予想  (読みかけ)
・ケプラー予想  (読みかけ)
・コンピュータは数学者になれるのか?   (読みかけ)
・宇宙戦艦ヤマトを作った男  (読みかけ)

近年はAmazonで買ってばかりいるので本屋にはほとんど行かなくなりました.八重洲ブックセンターとか、渋谷のジュンク堂のような巨大書店にはたまに情報収集がてら行きますけども...

今日、ライフで食糧を買ったついでに、滅多に行くコトの無くなった町の本屋さんである、中目黒ブックセンターへ行きました.やっぱりリアル本屋にはあまり用が無いんだよなぁなどと思いつつ店内をチラ見しているとき、ふと両親のコトを思い出して一体あれは何だったのだろう?という謎の光景が浮かんできました. (両親は存命です)

その光景とは、、、
わたしの両親が読書をしている姿をほとんど見た経験が無い
という事実なんです.一体あいつら何者なんだろう?と寒くなりました.オレの親のくせにずいぶんひでぇ奴等だな.

わたしの実家には、父が若い頃に読んだ(と父が主張する)文学全集がありました.志賀直哉、夏目漱石、芥川龍之介、川端康成、、、みたいな明治生まれの小説家のハードカバー本がズラーッと本棚に置いてありました.でも、わたしが物心ついて以来、父がそれらの本を読んでいる姿を一度も見てません.
父が読書をしている姿の記憶を強いて言えば、趣味の陶芸のテクニック本を読んでいましたが、それだけです.わたしが知る限り、小説を読むという習慣もなければ、時事問題の本を読む習慣も一切ありませんでした.

母についていえば、NHKの料理本はありましたから台所で見ていたのでしょう.やはり小説や時事問題本を読んでいる姿を見た経験はありません.

恐るべき無読書人間! 恐るべき情弱! オレの親のくせにずいぶんひでぇ奴等だな.

そんな情弱な父母の脳内ワールドって、喩えるならば「ニュースステーション」のカーボンコピーなんですよ.情報源が朝日新聞とニュースステーションだけなんだから無理もありませんが.

父について言えば、職業は高校教師で、日教組と共産党が大嫌いなのは一貫していたのですが、アンチ日教組なんだからオレはイケてる保守なのだ、と誤解してトチ狂ってる人でした.だってその正体は脳内ワールドニュースステーションと脳内ワールド朝日新聞なんですから、良心的保守の一人と自覚し誇りを持って知らぬ間に反日の一端を担ってしまっている踊らされ型反日人間でした.愚かしい.

母については、「安倍さん怖いわ」みたいな人で、イデオロギー以前の問題で、「大人になれんなぁ」といいたい.

知識レベルがすごく浅くて、イデオロギーポジションがトチ狂ってしまった父と、大人になれない母.情弱な連中だとは判っていたものの、読書する親の姿を見たコトがないという子供時代からの記憶にその実像が現れていたんだよなぁと気付いて、中目黒ブックセンター店内を巡りつつ背筋が寒くなりました.


さらに考えを進めて、、、
20歳代に森鴎外や志賀直哉を読破した父が、わたしの幼少期以降である30歳台前半以降には小説も時事問題も一切読まなくなってしまったのはどういう理由なのだろう? 野坂昭如や森村誠一に手出ししてもよかったはずではないか?

冒頭の読書リストで、ヒラサカは「ラノベの文体が苦痛だから読まない」と書きました.父の場合にも似た感覚によって、野坂昭如や森村誠一のような旬の小説にアクセスできなくなってしまったのかもしれません.時代に拒絶されてしまい消費豚にすらなれなかったという説.

もう一つの可能性として、父には、自身のポジションの正統性を旧き善き物から調達して悦に入るという悪癖がありました.例を挙げれば、モーツァルトは旧き善き物であるから、モーツァルトを支持する自分は優れて正統であるという悦び方です.そのモーツァルトが存命の時代にはモーツァルトは流行歌の作曲家だったんじゃねぇの?という着眼を寸分も持たないのですからバカなのですが.
それ故、元来読書習慣なんか無いくせに、ファッションとして往年の小説家である森鴎外や志賀直哉にアクセスしていただけなのかもしれません.そんなだから野坂昭如や森村誠一を拒絶するのはファッションとして当然だったという説.

父はボケてしまったので真相は藪の中となりました.

ところで「消費豚」というコトバをわたしが知ったのはアニメ「冴えない彼女の育てかた」の霞ヶ丘詩羽先輩のセリフでした.情報生成せずに情報摂取ばかりしている、メディアにとっての美味しい鴨という意味の差別用語です.
でもねぇ、父母のように情報摂取すらほとんどしないオールドタイプに比べたら消費豚でもどれだけマシかと思うよ、真剣にそう思う.

あいつら一体なんなんだ?

ホラ~だよ

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