「歴史観無視プラン」がダメだと確定したことで、わたしの予想が当たったものの、わたしの「歴史観遵守プラン」が成立したわけではない.そこがフラストレーションなところだった.
しかし捨てる神あらば拾う神あり、すったもんだの末「歴史観遵守プラン」は、その後、とある事業部に拾われて生き残った.この経緯を書くのはおもしろいと思うのだが、書くのは自粛.(当時の社長がテープ事業部出身の中鉢氏だったことは遠因だった) わたしは自身の誇りをかけて「歴史観遵守プラン」の商品化に取り組んだ.拾ってくれた事業部の期待に応えるためにも失敗なんか絶対にできない状況だった.
従来の開発体制は、テープ屋+ヘッド屋+ドライブ屋が別の事業部だったので、チームワークが悪かったのだが、ありがたいことに今回は3者が同一事業部になり運命共同体としてコミットする体制になった.ここで、管理屋が企業内でどういう役目を果たしているのかがわかった.企業は技術なんかじゃ廻らない.金で廻るのである.金が企業の血液だ.管理屋は企業の心臓だ.
歴史観遵守プランとはどんなだったか?
LSI 既存LSIの流用(開発期間の短縮)
ヘッド 新GMRでブレークスルー(摺動系の負担軽減策)
テープ あまり変更しない
メカ 既存のまま
サーボ 新サーボでブレークスルー(メカの負担軽減策)
摺動系 現状維持
ヘッドとサーボさえ実現できりゃ、あとのリスク分野はそのままでいいからさ!という目論見.LSIをあえてサボッたのは、最短で1年かかるのでありえなから.
優秀なエンジニア達は本当に全力を尽くしてくれたし、狙った技術の筋が良かったので、開発はほぼ順調に進み、高い信頼性の商品を期日通りに出せた.このprojectが技術屋としてのわたしのピークだった.
しかし残念なことに、この商品はそんなに売れなかった.発売時期が遅すぎたのである.O主任技師によって失われた数年間を取り戻すことはついにできなかった.
この後、仕事は後退戦につぐ後退線の様相を呈してゆく.
もともとヘリカルスキャンがやりたくてこの業界に入ったわたしである.ヘリカルスキャンの掉尾を飾る技術をブチ込めたさってことだけがわたしの収穫となった.これを超えるヘリカルスキャン装置が開発されることは二度となくなった.やるこたぁやったんで成仏だ!
--続く-- つぎへ 前へ
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管理屋の仕事って、具体的にはどういうものだったのでしょうか?
返信削除デバイスやメディアが別の事業部の場合とは違ったのですか。
って、その場合もワタシは知らないんですけどね…。