2016年4月13日水曜日

出雲へ (10) 石見銀山

出雲大社からクルマで75分と案内されていました石見銀山。「いわみ」と読みます。

ちょっと距離があるので行かないつもりだったのですが、出雲大社に参拝し、昼食とお土産を買った14時ごろから雨天になりました。こうなると参拝する気が失せます。

予定していた須佐神社へ行くのは明日にし、雨天の今日は石見銀山へ行くことにしました。

石見銀山は1550年ごろに開業して、それから200年間ぐらいはたくさんの銀が採掘され、遠くヨーロッパの銀相場にまで影響を与えていたという、大航海時代に世界市場が形成されていたところにロマンを感じるので見学したかったのです。
それと、土肥金山の見学コースがトンネルばっかりだったので、雨天に見学するなら石見銀山がおススメじゃないかと思いまして。

↓ところが、石見銀山へ行ってみたら鉱山エリアのハイキングコースになっていて、この写真の中央奥に霞んでいる谷筋を上ってゆくようになっています。雨はたくさん降ってるので全くアテが外れました。
少し離れたところに「石見銀山世界遺産センター」があり、そちらで石見銀山について学びました。

掘り尽くしてしまったのでもう銀を採掘できないのですが、日本は資源の無い国だという通説は必ずしも当たってないように思いました。歴史の早い時期から工業的かつ経済的な国だったので、開発され掘り尽くされてしまっただけとも云えるじゃないか。近年になってシベリアでダイヤモンドがたくさん発見されたけど、それは開発が遅れたので現代まで資源が温存された面もあるじゃないかと。
ではどうして1550年ごろまで銀山が開発されずに放置されていたのかというと、戦国時代の旺盛な資金需要と、銀の精錬法を朝鮮から輸入できたのが理由だったみたい。たとえば鉄砲の火薬は輸入だったと今日知りました。黒色火薬なんか木炭+硫黄+硝石を国内生産してたろうと思っていたのですが。

一時は世界の銀産出量の1/3を占めていた石見銀山ですが、鉱山エリアは意外に狭いです。地表で2000x1500mぐらいの範囲です。だからハイキングで見学できてしまいます。

近所の山を掘ったら他にも銀鉱脈があるんじゃないのか??

ちなみに、朝鮮から伝わった銀の精錬法とは、たぶんこんなやり方。
 ①硫化銀を加熱して硫黄を飛ばして酸化銀を得る
 ②鉛と木炭と酸化銀を一緒に燃やして還元し、鉛:銀=8:2の合金を得る
 ③加熱して鉛を蒸発させると銀が残る
 ④鉛で肺や神経がやられる

貴金属よしっ、、、

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