わたしは57歳. (『私は13歳』という外国の恋愛本が中学生時代に流行ったなぁ)
雑誌newtonにはもれなく目を通している.祐天寺のカーナピーナに置いてあるからだ.最新のnewtonの記事によると、30歳代からアルツハイマーの前駆症状で脳の特定部位の神経変性が始まる人が24%もいるそうだ.これを読んでる人の中にも脳細胞がポコポコと死んでる人が居るんだよきっと.
わたしの毒父はアルツで死んだ.よくある「死因は肺炎」などではなく、脳幹が死んで生命機能停止みたく終焉したらしい.アルツで発狂したのに身体だけは頑丈だったのだから始末が悪かった.精神病棟のベッドに拘束し、鎮静剤で落とし、最期の3年間ぐらいは医学のチカラで穏便に殺したというのが実情といえる.その取扱いでOKだったと思う.アルツってのはキチガイになって死ぬので、迷惑なんだよね.
自分がアルツになったら目も当てられない.
今回は老化について書いてみるなり.
アラ60の人々に訪れる老化は2パターンあると思う.
1)苦手だった事がますます苦手になる
2)高能力が衰えて只の人になる
1のパターンで、元々対人関係が苦手だった人が晩年になるとキツイみたいね.
ただでさえ空気読めない奴みたく疎外されてた人が、老化でますます空気読めなくなると、かなり終わる.孤独死へ.
2のパターンは、人が変わったようになってしまう.
怒りっぽくなったり、抑制が効かなくなったり、逆にボーッと静かになってしまったり.
選挙カーに突撃してあえなく逮捕され、取り調べで意味不明な事を喋る老人なんかはこのパターンだろう.
わたしはパターン1が始まっていると自覚している.
↓「苦手だった事がますます苦手になる」のヒラサカ的現場がこれ.
茶箪笥の奥にあるグラスを取る場面.
グラスを取るのは無問題なのだが、問題はその後だ.手前のグラスをなぎ倒してしまうんだ.周辺物体へのケア機能が死んでいる.
↓もうひとつ挙げると、立てかけた板を跨いで通行する場面では、1/3の確率で蹴とばしてしまう.自分の意識では脚を高く上げて余裕で跨いだつもりでも、思ったほどには脚が上がってないのだ.運動機能が死んでいる.
その苦手が老化でもっと酷くなっているのだ.
たぶん、若いころに比べて、運転も下手になっていると思われる.次の車検でクルマを手放すつもりだ.免許返納はしない.レンタカーには乗るつもりだから.
元来、外出する意欲の薄い性格だったが、ますます外出するのが嫌になった.これも老化.
幸い、現代社会では運動機能が死んでもさほど障害にはならないので、実生活に支障はないのである.対人能力が死んだり、抑制力が死んだりする者とは違うのだよ.
わたしがもしもアルツだったとしたら、アニメに対する興味を失うという形で顕在化するであろう.
えいめん
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