2025年5月15日木曜日

わたしの回路遍歴

みのミュージックの人が音楽遍歴動画をupしていたので、ヒラサカは回路遍歴を書いてみるなり.なおアニメ遍歴は含まない.

【小学生】
5年生のとき伊勢原に転居した.伊勢原は嫌いである.
本厚木の模型店が遠くなってしまったので回路で遊び始める.
雑誌の付録でゲルマラジオとか作ったかな.あと学研の電子ブロック.


【中学生】
中学1年で秋葉原デビュー.当時のアキバはオーディオとJUNKの街だった.
初めての秋葉原でテスターと2SC372を買った.抵抗はTVからバラしたものを持っていた.抵抗のカラーコードは暗記してた.雑誌の製作記事を見て回路を作ってた.オシロが欲しかった.
バリキャップのFM送信機を作って006Pで動かして、学校で飛ばしてFMラジオで受信して遊んでた.
アマチュア無線も少しやったがすぐに飽きた.おっさんとのコミュニケーションなんかつまんない.


【高校生】
お年玉を全力でパーツ買いに投資する生活.トラ技を読んでた.
オーディオスピーカー、オーディオアンプ、6800CPUパチパチDMAマシン(アセンブラ)
高校は平塚で、平塚駅前のデパートで何故かスピーカーユニットを売ってた.アルミ削り出しのtweeterが欲しかった.


【大学生】
麻雀への時間投資が最大だった.
回路はいろいろ作っては壊して遊んでた.
FM NEW7を買った.BASICにはそんなにハマらなかった.
VHSとCDを買った.アンプとSPKは自作.IF製作.
トラ技を読んでた.


【就職】
ついにオシロを買った.IWATSUの安い奴.

わたしはいきなり設計やってたので「なんだこいつは?」と思われていたらしい.
部品棚のパーツを湯水の如く使えるのはサイコーだった.

5年間ぐらいDATとVHSをやった.
DATはいわゆるdigital記録再生で今でもこれがわたしのベース知識だ.
VHSはディスクリートトランジスタ回路でたくさん遊んだ.トランジスタ回路はこの時に学んだ. →電撃トランジスタ講座

DATで新開発テープの評価結果を仙台のテープ屋に報告するような立場になったのがその後長く続く仙台との縁の始まり.最初はわけもわからずテープ別のエラーレートを測定するしか能が無かった新卒のわたしだったが、わたしの測定データをもとにテープの物性との相関関係を見極め開発方針を決める部長の仕事を見て、開発者がする言語変換はこうゆうものなのかと知った.

先輩社員が作ったVHSは不良品みたいな回路で、「これはひどい!」と激怒し、「俺が作り替える」と宣言して糸が切れた凧状態で作り替えた.これが入社3年目ぐらいで、既存設計全否定&アーキテクチャ刷新みたいなパワハラ技術者に早くもなっていた.

根本設計が悪いセットはセールスもサービスも事業部も不幸にすると知り、無責任な開発や設計を強く憎むことになる.


【出向】
会社を辞めようと思ったが、DDS開発チームに入れてもらう.
磁気記録再生~符号~等化の辺りを担当する.
当時流行し始めたパーシャルレスポンスという等化技術を採用することは決まっていたのだけど、等化精度が厳しくて「こりゃぁ酷いことになるぞ」と思った.たまたま知った適応等化という技術が、当時使い始めたverilog+デジタル信号処理で作れそうな感じだったのでFPGAで手作りして動かしたらうまくいった.
この商品は馬鹿みたく売れた.
でもわたしは出向を終えて退職した.

この時期に習得した技術は、デジタル回路、verilog、UNIX、信号処理、LSI設計.
LSI設計はサイコーに面白かった.なんでもできるんだもん.

CQ出版社の執筆者グループに参加してたことがあり、世の中にはすごい人達がたくさんいるが、なぜか会社にはそういう人があまり居ない.


【転職】
30歳ぐらい、測定器メーカー.
測定器というものがどーなっているのかを知る(意外と大したことない).
この時期に修得したのは、GHzの小信号アンプ.


【転職】
33歳だったかな.
DDS開発チームに戻る.その後12年間在籍することになる.
基礎研究みたいなことをしてたのだが、SNが悪くてPLLがすっ飛んでしまうのを察知して、こりゃぁ酷いことになるぞと思ったのでう~んと考えてフルデジタルPLLを考案して手作りして動かしたらうまくいった.セットの信頼性は爆上がりしたと自負している.

技術というものは必要に応じて開発されるべきである.それは他部署への要求も同じで、「俺のプランを実現しろ」と臆面もなく言うパワハラさにますます磨きがかかる.しかしそれをやらなくちゃ死ぬし、やれば生き残れる、それだけだ.「これを実現するために命を捧げよ」

この頃「楽してやれることしかしない」という無責任R&Dのクソジジイと過激に対立していた.殺してやろうかと思った.

後半はマネジメントに転ずる.社外とハナシつけたり、金目とか、人事とか、事業計画とか、リストラとか、そんなのばっかり.とてもイイ経験だったけど、1度経験すれば用済みな業務であって、わたしが定年までやり続ける価値はない.

この頃、社外の複数方面から言われた.
「ヒラサカさんって何者なんですか?」
複数方面が異口同音に言うには、フツーは社外でその場で決めません、持ち帰って上司と相談して後で結果を報告します.でもヒラサカさんはその場で決めちゃいます.そんな人いません.
持ち帰ったって覆らないような事は持ち帰らないでその場で決めればいいでしょ? いちいちかったりーことしねぇよ.


【失業】
45歳ごろ失業.
過去の悪行に天罰が下って依願退職を求められたとかいう事ではなく、ヘリカルスキャンが終わったので23年間の自分のキャリアもおしまいにした.

住宅リフォームの職業訓練に半年間通う. →はじまり
わたしは学校というヘタレの価値を認めないが、人生唯一の例外は職業訓練校だった.サイコーに有意義だった.
この後10年間ぐらい建築事務所でアルバイトすることになる.建物がどんな風に劣化し壊れてゆくかをつぶさに見た.北海道の海に面した鉄筋造は、ブレードランナーのブラッドベリビルなんか目じゃないくらい酷い壊れ方だった.爆撃されたような壊れ方.

自営の不動産賃貸業を始めたので戸建て丸ごと内装リフォームをやるようになった.簿記もそれなりにやる.

回路面では、失業して暇だったので、それまで業務で関わりの無かったCPU周りをやってみるかと、STM8Sを骨の髄までしゃぶりつくした.1chip CPUはperipheralの使いこなしが作業の多くを占める.peripheralはだいたいどのCPUでも同じだ.

HiFi audioをやり始める.HiRes DACを作りたくなり、そのためにDDCを作った.それ以来STM32を使っている.この時のUSBの知識を現在の仕事で使っている.

3Dプリンタが廉価になってきたので、中華通販で部品を調達し3DPを自作する.

gmailを検索したところ2019年からJLCPCBを使っている.
 ・アートワークは自分でやる
 ・JLCPCBは¥500で基板製造が可能
 ・構造部品は3DPで自作できる
自宅の試作環境が整った.便利な世の中.


【就職】
失業して15年ほど経ち60歳目前でなぜか就職、在宅勤務.
アナログ性能の究極を追求するような超強烈なSPECが求められる.数10年間やってきた回路やsystem知識の集大成みたいなところがある.
わたしは民間企業のやり方しか知らないので、マネジメントや金目に関して驚くことが多い.
いまはパワハラは封印している.


遍歴シリーズは、アニメ遍歴、女性遍歴、と続きます.(うそ)

かしこ

2 件のコメント:

  1. ソニーOB:佐藤2025年5月15日 23:47

    回路系に詳しい平坂さんは以下のメーカーどう思います?
    FBでオーディオ関連のグループに入っていますがほとんどオカルトの世界に感じます。
    ほとんど50代以上で耳の感度も悪いだろうに。
    で、メーカーはこれです。
    https://topwing.jp/index.html

    返信削除
    返信
    1. こんにちは.
      伝送路クリーニングで高音質を狙う系ですねぇ.

      対策する→音がよくなる
      対策する→音が変わる
      対策する→音が変わらない

      こうゆう伝送路系の改善パーツとか、電源改善パーツとか、たくさんありますけど、、、
      実際に音が変わるケースが多いとは思います.
      ただ、音が変わったのと、音がよくなったのを聞き分けられているのかは謎かなと思います.
      どっちが良音であるかを絶対的に判定できてる人がどれだけいるんですかね?

      技術そっちのけでaudio沼な人々に必要なのは、
      「ケーブルを変えて音が変わっちゃったらどこかおかしい」
      「電源の影響で音が変わっちゃったらどこかおかしい」
      という回路の根本へのこだわりだと思います.
      追及するべきなのはそこなんじゃないの?とわたしは思うんですが.着眼がまるで逆.

      たやすく音が変わってしまうような不安定なセットだから楽しいんですかねぇ

      削除