前半を絶賛しつつも若い初監督が複雑系の本作をまとめられるかは心配だった「さよならララ」が最終回を迎えた.
若い監督がやりたいことをたくさん詰め込んで、監督自身も完走できるかどうか判らず、それでもがむしゃらに前進してゆく作品は大好きだ.アニメ制作者の粋が感じられるからだ.
初期の宮崎駿にはそうゆう足掻いて揺れるテイストがあった.足掻きつつも宮崎駿は若い頃から優秀だったので無茶を強引にまとめる神通力を持っていた.ジブリ時代の宮崎駿にはそうゆう魅力が失われてしまい、過去の焼き直し+気難しい左翼ジジイの戯言になってしまった.だからジブリ作品を評価しない.
ならば「さよならララ」はどうだったか?
とりあえずまとめには失敗した.初監督の若さが出ちゃった.粗削りで済ますには風呂敷を拡げすぎたし、拡げた風呂敷を畳み切れなかった.
それでも最終回はよかった.もちろんヒラサカの贔屓目も含んでだが・・・
ラスト4話はかなりわけわからんくなっていたと思う.正確には「わけわからんくなった」のではない.提示したテーゼを全部とっ散らかしたままで最終回へ持って行って、最終回で全部まとめるつもりだったが、それはチト無理だったということだ.
最終回まで持ち越しとは、、、
・本当の愛なんかあるんか?
・ララの殺人衝動兵器
・人類を滅亡させたい人魚の都合
・人間はそんなに悪くないというララの観測
・魔女の人間界への執着の是非
・光の発動条件=人間から本当の愛を受けること OR 人間を滅ぼすこと
これらについて最終回を簡単にまとめると、
・ララは殺さない、滅ぼさない(殺人衝動兵器の放棄)
・ララは本当の愛を求めない(受動性の否定)
・ララは人間関係の中で暮らすと決めた(ヒラ的には人魚界を放棄したと見えた)
・人魚界完全復活の強力な光ではないが、穏やかな回復になる程度の光を発動した
さらに簡潔にまとめると、マリが主人公だったんじゃないのかと思えてくる.
ボクシング選手のマリは独立心の強い女子であって、依存心のほとんどない性格だった.そのマリが「ララに居なくなって欲しくない」と愛着を吐露するようになった.
つまり、元から独立した人間(大人)が愛の段階に進んだのがマリだった.
ならばララは何だったのかというと、、、
愛されることを求める受動的な子供だった.
しかし最終回で愛を求めるのをやめた.独立した大人への階段を昇りだした.
だけど、ララは自分を大人になったとは自覚していない.
ララもマリが好きだ.
しかしマリとラヴラヴになるほど自分は独立できていない.愛を手に入れるのは、独り暮らしで独立してからだ.
別れの駅でマリの目を見れない.マリとアイコンタクトしたら前に進めなくなるから.
ラストシーン.マリが全部持って行きやがったwwww
綺麗なラストなんだよ.
だとするならば、↓こういったドロドロネタは第9~10話辺りでケリをつけてしまう逐次解決的なstory構成の方が良かったんじゃないかな.
・ララの殺人衝動兵器
・人類を滅亡させたい人魚の都合
・魔女の人間界への執着
twitterに「尺が足りてねぇ」というポストが散見されるが、story構成を変えれば12話でまとめる事ができたと思う.
かしこ
