夜になれば涼しい季節。目黒川沿いはコオロギの声。
走ってノムネンで呑みです。
ホッピー1本で中身を2杯もらう(都合3杯)のははしたない行為なのだろうか?今度、お酒の師匠ことジントニマスターに訊いてみよう。
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どうもよくわからん。
動画を作る難易度を誤解してるというか、カッコいい動画なんて未経験者でも作れて当たり前との認識が蔓延している様に感ずる出来事が今日もあった。かなり呆れているわたしだ。
以前も書いたが、
ヒトは文章読解力を幼稚園〜社会人になっても教育される。
しかし、映像のリテラシ教育はされない。
例外的に映像プロダクション就職者や映画ヲタやアニヲタだけが独学で映像リテラシを自己学習する。
ゆえに、パンピーは映像モノについてまったく呆れるしかないくらい理解力が無い。
tubeの動画にしたってピンキリだ。
編集の手間だけに着眼したランクづけを以下に記す。
ランクF
最低ランク動画のお手本は立花孝志の動画だ。
スマホで撮って、話者がスマホ越しの音声、編集無し、みたいな動画のこと。
ランクE
素人婚活動画レベル
スマホでザッと撮った自撮りを、time line編集まではやった動画。字幕無し。
ランクD
旅系動画レベル 政治経済系動画レベル
time line編集の後で字幕を付けている。AI字幕は精度悪い。
ランクC
パクリ解説動画レベル
AI画像+合成音声+字幕
手間がかかっているのは認めるが、内容はおしなべてクソ
ランクB
えがちゃんねるレベル
字幕も画角も動的に編集される。音声と照明をケアしてる。プロに近い
ランクA
Blenderで3Dモデリングのアニメがビシビシ動く。
解像度も音声も良好。
tubeにはほとんど存在しないover quality。
それでな、映像リテラシの無いパンピーには、ABCDEFの区別すらついてないというのがヒラ仮説の第一章だ。
そうゆう無知蒙昧が「もっとイイ動画にしろ」とか言ったって、言ってる本人がイイ動画を定義出来ていない。
言われた側は、イイ動画ってなんだろう?とキョトンとせざるを得ない。
映像リテラシの無いパンピー同士の会話たるや、2人の小泉進次郎によるパッパラー会話にしかならんよ。不毛。
「もっとイイ動画を」ゆうてる者のアタマに浮かんでいるのは漠然とランクAなのかもしれない。
Blenderでmodelingして照明してカメラ廻すのを製造業の技術者にやらせるとか無理よ。社員の自助努力でやれる仕事じゃない。
どうしてその相場観が自然に身につかないのかねぇ?
いろんな打ち合わせの時、わたしはこんな事をしばしば口走っていると思う。
「あそれちゃんちゃらおかしいレベルで無理」
「3ヶ月と500万用意して外注へどうぞ」
「あははーウケるー」
秒で捨てるべき選択肢はザックリ切り落として議論を縮退させないと場が正解へ漸近してゆかないからね。
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ヒラ仮説第2章
映像リテラシは無い。だが何かしらの動画を作る事を強要された者はどうするか?
これも以前書いたが、
映像リテラシの無い者が難しい映画を観たとする。
理解出来ない観客はフラストする。
理解しようと努力する。
その努力の仕方が、映像→文章にconvertして理解に努めるんだ。無駄な努力だがな。
文章にconvertとは、すなわち「テーマ探し」だ。
そしてテーマの是非を通じて難しい映画を咀嚼しようとする。無駄じゃ。
映像リテラシの無い者が動画制作をしろと言われた時にも類似の行動に出る。
類似の行動とは何か?
パワポ資料を作り始めるのだ。
パワポと動画絵コンテは全然違うんだが、言っても通じまい。
パワポは所詮文章の一種だ。なぜならパワポは紙芝居であり、紙芝居は文学だから。文学には時間制約が無い。
動画は最初に時間がある。セリフや画面は時間制約の上に乗る。家は土地の上にしか建てれないのと似ている。
映像リテラシの無い者には、映画も紙芝居にしか見えないのだろう。
わたしはチェンソーレゼに不満がある。時間の進み方が単調で紙芝居だったからだ。パンピーには判らない感覚だろう。
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今日のわたしは他人が書いたパワポを元に動画を作るつもりだった。
だが駆け出し映像クリエイターのわたしには、パワポ→動画変換のコツがまるで思い浮かばず、手が停まってしまった。
ノムネンで軽くヤケ酒だ。
わたしはこの壁を乗り越える事ができるだろうか?
かしこ
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