2016年8月9日火曜日

「シン・ゴジラ」3回目、庵野の際どい嗅覚に感心する (ネタバレ)

シン・ゴジラの3回目を、新宿TOHOのIMAXで観ました.物語に没入すると音がよいとかは忘れちゃうなぁ、わたしは.

公開されて10日経ったので、今回はネタバレ全開で書きます.

海外100カ国へ配給するらしいですね.でもシン・ゴジラって海外でウケると思います??? などと考えるに、庵野は際どいところを狙うやつだなぁと感心します.真面目な映画製作者は、シン・ゴジラという作品が許せん!などと思っているんじゃないかなぁ?

いきなりハナシは飛びますけど、赤塚不二男の「天才バカボン」を、2016年の今読むと、きっとなんにも面白くないんですよ.わたしがBOOKOFFの立ち読みで天才バカボンを読んだのは1990年代の後半だったと思うけど、その時点でも天才バカボンが全く面白くなかった.もちろん、子供の頃に天才バカボンを読んだときはスゲー面白かった.

それはなぜか?
天才バカボンが旬の時期には、天才バカボン読者の多くが天才バカボンを楽しめたけれど、それから20年かそこら経過するうちに、様々な他の優れた作品に慣れ親しんだ読者の思考や嗜好が決定的に変わってしまい、もはやヒラサカという同じ個体であってすら、天才バカボンを楽しむ素地が失われてしまった、ということなのだと思います.
天才バカボンに「これでいいのだ」というバカボンパパの名セリフがあるんですが、赤塚不二男が「これでいいのだ」と思ったナンセンスギャグがその時日本に生きていた人々にマッチしていたわけです.
赤塚不二男に限らず、作家が「これでいいんだよ」となにげなく考えた創作物が、斬新性を伴って消費豚どもにウケるのは実に奇跡的かつ一過性なことなのではと思う.(中には秋元康のような計算ずくのクリエーターもいるようですが)

シン・ゴジラからは、庵野が考える「これでいいのだ」が強く漂ってきます.

それはどういうことか?
シン・ゴジラという映画は、カヨコ・パタースンが「40歳台で大統領になる夢を捨てて飛行機から降りるシーン」の前後で全く作りが異なってしまっています.そのシーンまではポリティカルフィクション的な映画でしたが、そのシーンの後すなわちヤシオリ作戦はひたすら空想漫画映画になってしまっています.別の映画作品が突然連結されたかのような違和感があると云えなくも無い.わたしは違和感を察知はするけれど、不満ではない.だけど真面目な映画人は怒るかもしれない.

具体例は、ポリティカルフィクションである武蔵小杉でのタバ作戦の冒頭シーンは、三沢から上がるF-2でした.ところが、空想漫画映画であるヤシオリ作戦の冒頭シーンは、無人新幹線爆弾でした.

たぶん庵野はこうかんがえたのだろう.
自衛隊の兵装が効かないゴジラを描き、USのバンカーバスターが効かないゴジラを描き、東京の大破壊を描くまでで、シン・ゴジラ製作における「ゴジラへの敬意」という義理を果たした.ラストはもうオレの好きにさせてもらうからな、無人新幹線爆弾だーっっ!てね.

わたしが軽く恐怖するのは、前半のポリティカルフィクション風なリアリティ追及形式であれだけのゴジラの大破壊をシリアスに描いたにも関わらず、なんの躊躇いも無くそのリアリティをブチ壊してヤシオリ作戦を描いてしまった、庵野という作家の「これでいいのだ」的センスなんです.際どいことするなぁ.ヒヤヒヤするなぁ.
シン・ゴジラではそのヤシオリ作戦を面白いと多くの観客が思っているようなので良かったけれど、一歩間違えたら前半で積み上げたリアリティをラストでブチ壊しにした駄作映画になってしまうところでした.でも、その一線を見切る能力こそが旬の作家なのだろうと、庵野のことを感心する次第です.

作家がその際どい一線を見切るにあたり、とても重要なのは、観客のリテラシをどのくらいと見積もるかだと思います.

わたしはアニヲタですから、いきなり無人新幹線爆弾が出てきたときに、「そうかこうきたのかっ!」ってすぐにギアチェンジできました.
でもねぇ、一般的な趣味趣向の観客はどう思っているんだろ? 予想される感想としては、東京の大破壊がすごかった、ヤシオリ作戦はまぁまぁだった、という風に無人新幹線爆弾の唐突さ以降についてはキョトンとしているんじゃないのかなぁと心配なんです.
もしかしたら、日本の観客は、たとえ一般的な趣味趣向の人々であっても、どこかで特撮物やエヴァンゲリオンの洗礼を受けているために、無人新幹線爆弾ですぐにギアチェンジできる能力を身に着けているのかもしれない.もしそうだったとしたら、それは高いリテラシを持っているという意味で偉いと褒めてあげたい.

ところがである.外人がシン・ゴジラを見たら、ポリティカルフィクションだった映画がどうして最後にあんなコミカルになっちゃったの?キョトン?で終わっちゃうのではないだろうか? 現代日本人とは別の社会で別の文化で生きてきた人々が、シン・ゴジラの連結構造に追従できるかどうか疑わしいと思うんです.

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日本人だから「これでいいのだ」的な他のアイテムを拾ってみますと、

ゴジラに血液凝固材を飲ませるのは、福島の原子炉への海水注入をなぞらえているのだが、それを理解できるのは現代日本人だけだろう.毒殺されるゴジラなんかじゃカタルシスないじゃんってUSの観客は不満に思うだろう.

カヨコ・パタースンのツンデレは、日本のアニメの様式美であって、外国人には理解不能な人物描写と思われる.核攻撃のあたりから急にデレデレになってきて、あの展開で萌えるコトができるのは日本人でもヲタクだけかもしれんw.

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ヤシオリ作戦の成功によって核を撃たせないストーリーで完結したわけだが、核を撃たせちゃってもよかったかなぁと思う.(尺の都合で無理だったとは思うけど)
その場合は、核ミサイルがゴジラビームで全部叩き落されて、攻撃力・防御力両面で人類を超えた完全生物になってしまい、だがしかし矢口達がゴジラに毒を盛って殺すという展開になります.

核攻撃はシン・ゴジラ2に持ち越しですかな.ゴジラが再起動して、3600秒後にSLBMが発射されたがゴジラビームで全弾不発というのが、シン・ゴジラ2の冒頭10分の描写だったりして.

そしてゴジラは図らずも日本のミサイル防衛の要となる.そう、ゴジラこそ大和島根を守護する神の化身だったのだっっ!

2回目へ

かしこ


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7 件のコメント:

  1. 自分も海外に持って行ったらどう見られるか考えてる自分を意識しながら映画を見ている自分。みたいなおそらく監督の思うつぼな状態で見てました。
    インディペンデンスデイもそうですが、たぶんその国なりに頑張って敵をやっつけるストーリーは、国外でもナチュラルに受け取られるかなと、今では思っています。
    エヴァにしても、シンゴジラにしてもみた後にあれこれ考えたり語ったりせずにはおられないですね。この観客を転がす力の強さが庵野監督の凄さですね。たいしたもんです。

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    1. 新宿の隣の部屋でインディペンデンスデイやってたらしい.ゴジラの後では観る気がしない、、、

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  2. 最後にゴジラの尻尾をずっとカメラでナメていくシーンがいまいちよくわかりませんでした。あれはなんだったのでしょうか?
    ちょっと赤くなっていたので、まだビミョーに生きている的なことだったのでしょうか。油断して見ていたので赤くなっていたか記憶もあいまいで、もやもや引っかかっています。特に意味ないシーンなのかな。モヤモヤ。

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    1. 骨になった尻尾の先端から、人間のような生物の骨が数体生えていました.あの尻尾に隠された謎には劇中の誰もまだ気づいていない様子です.ゴジラの遺伝子解析が進むと、海底トンネルの直上のボートから消えた博士の遺伝子も検出されるのではないかと思います.
      あいにく映画のパンフは売り切れだったのですが、パンフには何かヒントが書かれていたのかもしれません.

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    2. すっきりしました~!( ^o^)ノ

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  3. 復活の2000円札を使う男2016年8月26日 17:26

    >>人間のような生物の骨
    スケール的に人間というより、巨神兵と思っています。
    骨格は人間なのですが、頭蓋骨はヘルメット形状で人のそれとは思えませんでした。
    でも、この作品でこのオマージュ???
    見間違いかな?とも思いますが・・・

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    1. やっぱりそう見えましたか、私もです。まさか、、、禁じられしゴジラとナウシカの融合を起こすつもりなのかっ?

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