庵野が喋ったというのはこのような言葉だったらしいです.
http://jp.sputniknews.com/japan/20150523/369080.html
「庵野氏は、日本のアニメはすでに頂点を過ぎ、光を失い、斜陽に向かっていると語り、完全に光を失った後に、おそらく新たな上昇が始まるとの見解を表している。
庵野氏いわく、今のアニメ制作のシステムはかろうじて持っている状態であり、その崩壊は時間の問題。それがもつ見込みについては、いずれにせよ20年はもたず、あと5年ほど、との考えを表し、将来は今あるようなものはできないと指摘。人材、資金もなくなり、日本全体の状況が何も考えずにただアニメを作るということを許すものではなくなる。
一方で庵野氏は、だからといって映画芸術の1つとしてのアニメがこれで終わることは否定。アニメ制作の中心がアジアの、より条件のいい場所に移る可能性を指摘。
庵野氏の予見では、アニメのようなものは必ず世界のどこかには存在し続けていくが、世界のアニメを牽引する中心としての日本は終焉が間近。」
ヒラサカが庵野の言葉を重く受け止めたい理由として、彼は特撮マニアであり、日本の特撮が衰亡していった経緯を熟知している人なんだよね.だから庵野によるアニメ業界への危機感は傾聴に値すると思うのであった.
この類のアニメ制作限界説は、手塚治虫がTVアニメというビジネススキームを発明した時から云われている古い問題提起であると同時に、年間およそ200タイトルのハイペースで製作されている昨今のアニメ業界における企画の枯渇度合いから推測するに、そろそろ臨界点かなという意識がヒラサカの脳内にも去来する新しい問題でもあります.なので多くの追随者が「5年で終わるの?」と2chやブログやツイッターを賑わしているのはさもありなんです.
#年間タイトル数には諸説あるのですが、ここでの年間200タイトルの根拠はこちら.
本当に日本のアニメは終わるのかな? 直感的にはこう思う.
1) 現状において既に、アニメを魅せるために製作されている作品は減っており、ゲーム+小説+マンガ+アニメ映画+実写映画+パチンコ から成るメディアミックスのための宣材として製作されているアニメが過半数を超えているのではないか?
2) 庵野の云うように、高齢化、資本の枯渇、により年間200タイトルのハイペース製作が無理になってゆくのは有り得ると思う.その前兆として、現在でもクオリティカタストロフの徴候は見えていると思う.
3) アニメ制作の存続形態は転換するかもだけど、日本アニメは終わりはしないように思う.
4) 日本がアニメの中心地であるのはそうだと思うけれど、日本のアニメ文化はガラパゴスの極致みたいな文化であり、そもそも海外勢との競争状態にあるとはヒラサカは思ってない.だから海外勢に侵食されて滅ぶという滅び方はあり得ないと思う.
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庵野が言う、「頂点を過ぎ」の頂点っていつだったのだろう?
これには、ヒラサカなりの仮説があります.「ハルヒ」が作られていた2000年代が頂点だったのではないでしょうか?
これには、ヒラサカなりの仮説があります.「ハルヒ」が作られていた2000年代が頂点だったのではないでしょうか?
1980年代のアニメ「マクロス」でフォッカーが戦死した理由は、フォッカー機の玩具の売れ行きが悪いのでフォッカーを殺して主人公の一条輝を搭乗させて玩具を売れるようにしたと噂されたりしてました.そんな噂に真実味を感じてしまうくらい、ロボットアニメにおける玩具メーカーのご意向は絶対的だっていうのはアニヲタの誰もが知っているコトでした.ちなみに右図が一条機とフォッカー機ですが、自分でも思ったもん「買うならVF-1Jだ」って.
「ハルヒ」が大ウケした2006年頃のアニメビジネスは、DVD/BDを売って投資回収するための「カタログ」として深夜UHFでTV放映するという位置付けが流行しました.ひら的には、アニメ制作者がアニメを売るためにアニメを作れる時代になってよかったね、と安堵していたのがこの時代.2010年頃までかなぁ、そういう幸福な時代は.
アニメの制作本数が飛躍的に増えたのも2000年代で、1クール3ヶ月13話を短期間で製作完了しDVD/BDで投資回収するビジネスモデルのおかげで大量生産のスイッチが入ったのではなかったか?
DVD/BDで投資回収できる経済情勢は2015年の今でも続いているのかというと、状況はすでに違った方向に流転してしまっているのではないでしょうか? それはすなわち制作委員会のコトで、ゲームやラノベや楽曲やBDやパチンコで総合的に投資回収するビジネスモデル.制作委員会の合議で企画される度合いが強まるとどうしても尖った企画は通りにくくなる.そんなプチハリウッド化が日本のアニメ業界で2010年代を通じて進行しているようにわたしは感じています.
そういった背景を感ずるヒラサカとしては「四月は君の嘘」はよくこの企画が通ったなと、感心する次第です.
庵野の言う「高齢化」の着眼で考えると、1948年生まれの団塊の世代が60歳定年を迎えるのが2009年となり、2000年代がアニメ草創期世代最期の時期でした.旧人類と新人類が一緒に働けた最期の時代としても2000年代には輝きがあったのではなかっただろうか?
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年間200本のハイペース制作の資本と人材は?
わたしも200本は多すぎるとは思います.しかし、どこかの誰かが制作委員会に集まって、年間200本分の出資をしているのは事実であり、その資金提供がある年度に突然半減するような事態は考えづらいです.なので200本ペースから漸減はあるかもしれないけど、激減はないだろうなと思う.
人材面では、アニメ制作現場からどんどん日本人が減ってゆき、中国韓国東南アジアへの外注(オフショア)に置き換わって行くと思います.日本人アニメータの給料が増えもせずにです.日本人アニメーターの皆さんには気の毒ですが.
アニメータの賃金が低いのはよく知られています.辞める人が多くいる一方でアニメータを志す新卒者も多い、その新陳代謝で一定数のアニメーターが中央線や西武線界隈に棲息しているものと思いますが、今後はアニメーターを志す新卒者が減ってゆくと推測します.昨今は景気回復に伴って有効求人倍率が改善していて、低収入と謂われるアニメーターを選好する若者が減るはずだというのが理由の一つ目.かつてヲタク趣味というと漫画orアニメだけでしたが、今ではゲームとかいろいろありますから、ヲタク人口は減らずとも、アニメーターを選好する比率が下がるのが理由の二つ目.
知人にCG関係の発注をする人がいて、彼の話を聞くと情勢はさらに厳しそうです.
「東南アジアが産業振興するにあたり、工場を建てるには資本が必要で難しい.そこで、CGの請負業ならPCを買えばすぐに仕事が始められる.CG請負業の社員はとても優秀.なぜかというと、日本で云えば東大卒の学歴の者がそういう会社で働くから.工数単価においても、優秀さにおいても、日本のCG請負業者が対抗するのは難しい」
アニメ制作は多くがCG化されているわけですから、この話はアニメには無関係と云えないはずで、アニメ制作現場から日本人が減る、これは数年オーダーでどんどん進行してゆくのではないでしょうか? 庵野が言う「アニメ制作の中心がアジアの、より条件のいい場所に移る」は、こういった経済的事情によってサクサクと進行すると思います.
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日本はアニメの中心地では無くなるのか?
わたしはディズニーが好きではありません.ディズニーがアニメなのだったらわたしはアニヲタになんか決してならなかったはずです.わたしが好きなのは日本のアニメなのです.
では日本のアニメって何なのか?
右のイラストが端的に日本のアニメを特徴づけているように思う.外国人にはこのイラストの意味が通じないらしい.
この目の大きさは変だ.髪の毛がピンクってどういうコト? セーラー服は何のコスチューム? この娘がバンドやるの? 高校が舞台で生徒会と恋愛が主題って、、、セカイ観がまるで意味不明、みたいな.
世界基準からしたらありえないくらいに平和な歴史を歩んで来れた日本民族にしか創造出来ない特殊な、ガラパゴス化の極致が日本のアニメ(というかヲタク全般)なのではないだろうか? それを面白がる一部の好事家が海外に居るわけだけど、外国人がこれを創造できるかというとそれは無理だと思うし、これを猿真似しても意味はないだろう.
「アニメの中心地」とはどういう意味だろうか?
ある文化的背景を持った集団が作る作品群が、他の文化集団には無い特徴を持っていて、その作品群が希少価値を持っている状態、ではないか?
だとすると、ハンチントンの「文明の衝突」みたいな話になる.ハンチントンは現存する文明は次の8ヶだと云う.
現在のメジャーなアニメ制作文明は日本とアメリカ(西欧文明)だけ.
・日本文明は、やたらと平和なガラパゴスな世界観を、日本国1億人で消費.
・西欧文明は、ディズニーのあの世界観を世界で販売.
ここに中華文明が新たなアニメ制作文明として独自路線をひっさげてデビューできるかどうか? それが日本がアニメの中心地でいられなくなるかどうかの、具体的命題だと思うんです.
中華文明に連なる韓国や東南アジアがアニメの中心地になるかどうか?
日本のアニメを真似た作品が韓国や東南アジア諸国で制作される場面はあるかもしれませんが、それはアニメの中心地とは呼びません.韓国文化や東南アジア諸国の独自のフレーバーを持ったアニメ群が世界中で大ウケしたら、それはアニメの中心地と云えます.でもそれは経済的事情で難しいかもしれない.日本が幸いなのは一国で人口が1億人いるから、日本人向けオンリーのコンテンツ制作事業が回っているんだと思うんです.韓国のGDPは日本の1/3しかない.ましてGDPが日本の1/10未満しかない諸国には、日本アニメの下請けしかできないと思う.
などと考えると、アニメの制作拠点は中国韓国東南アジアに移転する方向だとは思うけれど、アニメ文化の中心地が日本でなくなるという事態は考えづらい、というのがヒラサカの結論.制作環境がどこであるかは大切ではなく、大切なのは演出であり、演出の背景となる文化が外国から羨望されうるかどうかで決まると思う.
10年ぐらい前にインド映画が流行したように、アニメにおいてもインド文明から新しいセクトが誕生する可能性はあるように思う.中華文明圏は日本文明の照り返しが良くも悪くも強すぎるかと.
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海外との競争の話はさておいて、アニメの存在場所が変わってきているコトで少々お悩みのヒラサカさんです.まずはこちらのyoutubeをご覧下さい.
これを観ると、「ミンメイがちゃんと動いてる」「早瀬美沙が不気味だ」「バルキリーが3D」「マクロスっていつの間にリメイクしたの?」「デカルチャー」などと絶句なさることと思われます.
これねぇ、パチンコの映像なんですよ.
もはや地デジを観ているだけではダメで、パチンコもチェックしなくちゃダメですね.
秋葉のパソコンショップの店頭で、イイ感じの知らないアニメが流れていて「なんだこりゃ?」と最後まで観ているとそれはゲームのアニメだったりします.ゲームもチェックしなくちゃダメですね.
パチンコやゲームのアニメは短時間一点集中でとんでもないクオリティのショートムービーが制作される可能性があるので、見逃しちゃまずいんです.でも全てをチェックするのは難しい.困った.
どでかるちゃ~
そういった背景を感ずるヒラサカとしては「四月は君の嘘」はよくこの企画が通ったなと、感心する次第です.
庵野の言う「高齢化」の着眼で考えると、1948年生まれの団塊の世代が60歳定年を迎えるのが2009年となり、2000年代がアニメ草創期世代最期の時期でした.旧人類と新人類が一緒に働けた最期の時代としても2000年代には輝きがあったのではなかっただろうか?
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年間200本のハイペース制作の資本と人材は?
わたしも200本は多すぎるとは思います.しかし、どこかの誰かが制作委員会に集まって、年間200本分の出資をしているのは事実であり、その資金提供がある年度に突然半減するような事態は考えづらいです.なので200本ペースから漸減はあるかもしれないけど、激減はないだろうなと思う.
人材面では、アニメ制作現場からどんどん日本人が減ってゆき、中国韓国東南アジアへの外注(オフショア)に置き換わって行くと思います.日本人アニメータの給料が増えもせずにです.日本人アニメーターの皆さんには気の毒ですが.
アニメータの賃金が低いのはよく知られています.辞める人が多くいる一方でアニメータを志す新卒者も多い、その新陳代謝で一定数のアニメーターが中央線や西武線界隈に棲息しているものと思いますが、今後はアニメーターを志す新卒者が減ってゆくと推測します.昨今は景気回復に伴って有効求人倍率が改善していて、低収入と謂われるアニメーターを選好する若者が減るはずだというのが理由の一つ目.かつてヲタク趣味というと漫画orアニメだけでしたが、今ではゲームとかいろいろありますから、ヲタク人口は減らずとも、アニメーターを選好する比率が下がるのが理由の二つ目.
知人にCG関係の発注をする人がいて、彼の話を聞くと情勢はさらに厳しそうです.
「東南アジアが産業振興するにあたり、工場を建てるには資本が必要で難しい.そこで、CGの請負業ならPCを買えばすぐに仕事が始められる.CG請負業の社員はとても優秀.なぜかというと、日本で云えば東大卒の学歴の者がそういう会社で働くから.工数単価においても、優秀さにおいても、日本のCG請負業者が対抗するのは難しい」
アニメ制作は多くがCG化されているわけですから、この話はアニメには無関係と云えないはずで、アニメ制作現場から日本人が減る、これは数年オーダーでどんどん進行してゆくのではないでしょうか? 庵野が言う「アニメ制作の中心がアジアの、より条件のいい場所に移る」は、こういった経済的事情によってサクサクと進行すると思います.
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日本はアニメの中心地では無くなるのか?
わたしはディズニーが好きではありません.ディズニーがアニメなのだったらわたしはアニヲタになんか決してならなかったはずです.わたしが好きなのは日本のアニメなのです.
では日本のアニメって何なのか?
右のイラストが端的に日本のアニメを特徴づけているように思う.外国人にはこのイラストの意味が通じないらしい.
この目の大きさは変だ.髪の毛がピンクってどういうコト? セーラー服は何のコスチューム? この娘がバンドやるの? 高校が舞台で生徒会と恋愛が主題って、、、セカイ観がまるで意味不明、みたいな.
世界基準からしたらありえないくらいに平和な歴史を歩んで来れた日本民族にしか創造出来ない特殊な、ガラパゴス化の極致が日本のアニメ(というかヲタク全般)なのではないだろうか? それを面白がる一部の好事家が海外に居るわけだけど、外国人がこれを創造できるかというとそれは無理だと思うし、これを猿真似しても意味はないだろう.
「アニメの中心地」とはどういう意味だろうか?
ある文化的背景を持った集団が作る作品群が、他の文化集団には無い特徴を持っていて、その作品群が希少価値を持っている状態、ではないか?
だとすると、ハンチントンの「文明の衝突」みたいな話になる.ハンチントンは現存する文明は次の8ヶだと云う.
中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、日本文明、
東方正教会文明、西欧文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明
日本文明は、日本一国のみで成立する孤立文明と指摘されていますが、アニメなんかまさにその裏付け事例だろうさ.現在のメジャーなアニメ制作文明は日本とアメリカ(西欧文明)だけ.
・日本文明は、やたらと平和なガラパゴスな世界観を、日本国1億人で消費.
・西欧文明は、ディズニーのあの世界観を世界で販売.
ここに中華文明が新たなアニメ制作文明として独自路線をひっさげてデビューできるかどうか? それが日本がアニメの中心地でいられなくなるかどうかの、具体的命題だと思うんです.
でもそれは無理でしょう.
あの殺伐とした拝金主義文明から、他文明から羨望の眼差しで
みられるようなコンテンツが出てくるとは思えない.
13億人の市場がある中国ですから、中国人向けの反日アニメが信じられないくらいの興行収入を稼ぐなんていう事態はあるかもしれませんがね.でもそれをアニメの中心地とは呼ばない.中華文明に連なる韓国や東南アジアがアニメの中心地になるかどうか?
日本のアニメを真似た作品が韓国や東南アジア諸国で制作される場面はあるかもしれませんが、それはアニメの中心地とは呼びません.韓国文化や東南アジア諸国の独自のフレーバーを持ったアニメ群が世界中で大ウケしたら、それはアニメの中心地と云えます.でもそれは経済的事情で難しいかもしれない.日本が幸いなのは一国で人口が1億人いるから、日本人向けオンリーのコンテンツ制作事業が回っているんだと思うんです.韓国のGDPは日本の1/3しかない.ましてGDPが日本の1/10未満しかない諸国には、日本アニメの下請けしかできないと思う.
などと考えると、アニメの制作拠点は中国韓国東南アジアに移転する方向だとは思うけれど、アニメ文化の中心地が日本でなくなるという事態は考えづらい、というのがヒラサカの結論.制作環境がどこであるかは大切ではなく、大切なのは演出であり、演出の背景となる文化が外国から羨望されうるかどうかで決まると思う.
10年ぐらい前にインド映画が流行したように、アニメにおいてもインド文明から新しいセクトが誕生する可能性はあるように思う.中華文明圏は日本文明の照り返しが良くも悪くも強すぎるかと.
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海外との競争の話はさておいて、アニメの存在場所が変わってきているコトで少々お悩みのヒラサカさんです.まずはこちらのyoutubeをご覧下さい.
これを観ると、「ミンメイがちゃんと動いてる」「早瀬美沙が不気味だ」「バルキリーが3D」「マクロスっていつの間にリメイクしたの?」「デカルチャー」などと絶句なさることと思われます.
これねぇ、パチンコの映像なんですよ.
もはや地デジを観ているだけではダメで、パチンコもチェックしなくちゃダメですね.
秋葉のパソコンショップの店頭で、イイ感じの知らないアニメが流れていて「なんだこりゃ?」と最後まで観ているとそれはゲームのアニメだったりします.ゲームもチェックしなくちゃダメですね.
パチンコやゲームのアニメは短時間一点集中でとんでもないクオリティのショートムービーが制作される可能性があるので、見逃しちゃまずいんです.でも全てをチェックするのは難しい.困った.
どでかるちゃ~
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