その神社を訪れたのは40年ぶりだった.
わたしが小学校五年生の途中まで神奈川県海老名市に住んでいたのは既報のとおり.5年生の2学期から、神奈川県伊勢原市の大山の懐に抱かれる土地へ引っ越したのであった.
高部屋小学校へ登校し始めてまだ数日といった時点だったと思うが、教師が地区ごとに集まれというので指定の教室へ出向いた.そこで生徒が話すのは、「何か社会貢献を考えて実行しろ」というお題目で、1~6年生までが共同で社会貢献作業をするのだった.
とりあえず事情が全くわからないわたしとしては成り行きを見守るしかなかったわけだが、そこで決まったのは、
お宮掃除をやる(毎年の恒例だから)
であった.ただでさえ、伊勢原駅からバスで15分のど田舎の、ひどいところに来ちゃったなぁと子供心に失望やら不安やらを抱えていた小5のわたしであったが、
お宮掃除ってなんだそりゃ?
って余計に悪いだろってもんだった.海老名の小学校ではそんな変な活動はなかった.きょとんとしていても仕方が無いので、周囲の者に聞いたのだろうと思うが、放課後にほうき持参で家の近所にあるらしい神社へ来い、とだけ事情を理解した.
↓この写真だけ見ると、ひなびた神社の登り口的な風情だが、ここに至るまでの道は農道とも林道ともつかない軽トラしか通れぬような道で、本当にこの先に神社なんかあるのか?と思ったが、やがて他の生徒が集まり始めたので、彼らの後をついて登っていった.
当時のわたしの海老名市における遊び方はというと、暗渠になったドブ川を下流から上流まで数100m遡行するとかいう程度には都会的な遊びをしておった者だったが、農道とも林道ともつかぬような山道へ分け入るようなゲスに身を落とす自分が不憫で仕方なかった.
↓登って行くと、神社らしき建物が見える(この写真は現在の様子).
八つ墓村的に停滞している伊勢原という土地でのつまらない生活の始まりを暗示する出来事が「お宮掃除事件」なのだった.住んだ土地が八つ墓村的だったのがきっかけで、そこから明示的に脱出したい意欲が強まり、大人になって中目黒に住むという身の振りを選択したのだった.多感な時期の体験はその後の人生に影響を与えるものよのう.
↓伊勢原におけるクソな過去を思い起こすとともに、親が死んだらあの売れもしないし貸せもしない家をどうやって処分したらよいのだろう、空き家の固定資産税が6倍になるし頭痛いなぁと思いつつ、40年ぶりの神社から夕暮れ時の下界を眺め佇むわたしの姿がこの写真なのである.
ちなみに、小学6年生のときにもお宮掃除があったと思われるが、行ったのか、サボったのか、学校を休んだのか、記憶が定かではない.
祟りがありそうな嫌な予感しかしない、やっぱ行かなきゃよかった.
エイメン
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創価のような宗教的にNGの子供ってどうなるんでしょうね。
返信削除境内の周りは掃除するけど鳥居はくぐれないとか。。。。子供心に「どうしてこいつはくぐれないんだ!」と訝ってしまうでしょうね。
そういえばそうですね、それは考えてもみなかったっす.
削除学校行事でするお宮掃除は信教の自由に反するみたいな.
きわどいことしてたんだなぁなどと今頃になって実感してみたりしてw
そうそう、本年もよろしくです
削除こちらこそ宜しくお願いいたします。
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