2017年1月6日金曜日

2016年のアニメ、個人的総括 (1) 君の名は=ラッセンという説

2016年のアニメを総括しようと思いますが、「君の名は」について書いたら長くなってしまったので、「君の名は」だけで区切りました.


「君の名は」がまさかこれほど売れるとは思いませんでした.「君の名は」は日本だけでなく海外でも興収が良好で、ハリウッド的な売れ方が出来た初の日本映画になったともいわれます.オーバーに表現するならば全人類普遍的な映像快感原則にマッチした日本映画が遂に現れたといえるかもしれません.

黒澤や北野武や日本のアニメが海外の好事家から高評価なのは昔からですが、全人類普遍的映像快感原則にマッチした日本映画がどうして傍流出身の新海誠だったのだろうか? 歴代の日本人作家が苦心してできなかったコトをどうして新海誠は易々と達成してしまったのだろうか? ひら的にはそれが疑問点です.

新海誠の過去作品から彼の優れた点を挙げると、全ての作品で必ずそうだと言えるのはただひとつです.写真資料から雑味を除去して清澄な映像をアニメに再構成すること.これは映像快感原則的に良好です.もっとも、アニメの背景画家は多かれ少なかれそれをやっているわけですが、新海誠ほど徹底追求した映像作家は他にいなかったといえるでしょう.

次に新海誠の巧みな点を挙げると、

1) 設定で逃げ切る作家であってストーリで納得させたり盛り上げたりする作家ではない.設定の範囲内で若者がする懊悩を悲劇的に描くのが基本形.そういった設定オリエンテッドドラマが若者世代にはウケるのだと思われる.

2) 既存のアニメ制作テクをなんでも拝借するこだわりの無さ. =技術者的スタンス

3) 作家要素よりもプロデューサー要素の方が4:6で強い人だと思う.売れるべき立場では、作家性を捨てて、勤勉なサービスマンに徹することができる人.

1について:
「君の名は」において、隕石から人を救うのがなぜ東京在住の瀧くんだったのかは謎ですらありません.そういう”設定”なんです.

2について:
日本でアニメ制作をすればセルアニメ的手法については世界一のリソースを調達できます.
それはどういうことかというと、風で髪の毛や服がそよぐ表現を描けるアニメータがいるとか、人物の影の表現とか、光線の処理とか、レイアウト設計を元に背景と動画を起こす制作システムとか、そういう先人の功績をサクッと活用できる環境に日本はある.そういうリソースを、清澄な自分の作風にどう活用したら良いかについて技術者的によく考えたのが新海誠だと思います.
なんといっても「君の名は」は画が綺麗ですものね.でもそれは、新海誠の貢献というよりも、20世紀末~21世紀初頭にかけての日本文明にだけなぜか定着したセルアニメ文化のおかげと見るのが妥当だと思います.

3について:
新海誠は悲恋を描くのが好きなようです.男女を離隔するのは時間や年齢差という絶対に克服できない壁だったりします.
ところが「君の名は」では恋愛成就にスイッチしました.東宝で作らせてもらうのだから、売れやすい方に舵を切ったのでしょう.脚本はグループの議論で煮詰めていったそうです.制作過程がハリウッドっぽいですね.
それゆえですが、過去の新海作品をそれなりに好きなヒラサカとしては、「君の名は」は新海色がずいぶん薄らいだ、新海っぽくない作品として物足りなさを感じました.でもそれはマスマーケティングの必要条件だったわけですから無下にはできませんが.



全人類普遍的な映像快感原則という、日本人が苦心してできなかったコトをどうして新海誠は易々と達成してしまったのだろうという疑問への回答をひら的にまとめると以下のようになります.
日本のアニメ制作テクニックを活用して徹底的に清澄さを追求したサービス満点の映像と、多人数の議論で煮詰めたサービス満点のハッピーエンド脚本と、作家としてのエゴを軽々と捨て去ったことによって、新海誠は日本アニメの大棚ざらえに成功した.そして、驚いたことにそれが全人類普遍的映像快楽原則にマッチした映画になってしまった.

映像作家の中にはそれが悔しい人が居るようで、「君の名は」について、売れるように作ったのだからそりゃ売れるだろうよ、という辛口の感想があるようです.それに対して、新海は「だったら貴方はどうしてそれをやらなかったのですか?」と反論していたりする.

これについては新海が正論だとしか言えんでしょう.(笑)

日本にはリソースが在ったのにも関わらず、新海がやるまで誰もそのリソースを活用できなかったコトを、日本の映像作家諸氏は少し反省してみてもいいんじゃないでしょうか? つまり、新海誠のマーケティング的成功は、日本の映像作家にこういう問いを突きつけているのではなかろうか?

・ゴッホは好きだがラッセンなんかバカ臭いという高潔なスタンスを今後も堅持し続けるのか?

・ラッセンでも良いから全世界的に売れる作品を志向するためにハリウッドシステムを採用するのか?

ラッセンでもいいじゃないか、勝てば官軍なんだからと実績で示した新海誠が、映像業界では完全に傍流出身者なのは当然だったのかもしれません.我々が目にしたのは、傍流出身者による下克上の一幕だったのです.反作用的に主流映像作家のやっかみが漂っています.

以上が、2016年のオバケ作品「君の名は」の意外なヒットで考えたことでした.

#主流/傍流に関連して、わたしが2017年で注視したいのが、東宝は「君の名は」に「千と千尋」を越えさせるかどうかです.

かしこ

4 件のコメント:

  1. わたしはラッセンが嫌いです。

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    1. わたしもラッセンが嫌いです。ラッセンには金を使いません。新海がラッセンになっちゃったのは個人の趣味的には残念ではあります。ですがアニメ業界を大いに盛り上げる役に立ってくれた新海のことは慶賀に堪えんと思います。

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  2. おじさんを寄せ付けない映画なので見てないですが、確かにラッセンは今までで一番ピッタリくる比喩です~。
    絵がきれいですねー。とか売れてますねー。しか言う言葉が出ません。
    自分は若い感性が枯れてしまって、この映画を消化して栄養にする酵素を分泌できない感じです。食べてもそのままお尻から出てきそうな予感が・・。ちょっと悲しい。

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    1. まぁ、我々は修羅の道を歩みましょう、、、嘘w

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