2013年3月15日金曜日

東横線渋谷駅舎最期の日 (阿鼻叫喚の地獄の混雑)

東横線渋谷駅のあの狭っちいホームの駅舎が最期の日を迎えました.夜8時過ぎに見物に行ったらすげえ混んでいてたいへんでした.警備員も5mおきに居るんじゃないかというくらいたくさんいました.東急の他の駅の非番の職員を総動員したんでしょう.ご苦労様です!

↓ホーム先頭の改札口がすでにこの有様.写真撮ってる人が溜まっていてごったがえしてます.
↓ホームの末端のあたりはこんなでした.鉄がたくさん写真を撮ってました.
 ↓歩道橋から東横線ホームを眺められる場所.鈴なりの見物客に混じってTVクルーの姿もありました.
 ↓副都心線ホームには、前日にしてすでに横浜方面の表示がでていました.
明日は副都心線を見学します.


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6 件のコメント:

  1. 阿鼻叫喚てどんな意味かと思いNetで調べました。そう言う意味だったのかと、
    東横線は、東京と横浜を結ぶ路線のイメ-ジが埼玉と横浜が結ばれるので埼横線(埼京線をもじって)とでも言いましょうか?
    代官山から地下に入り渋谷は、地下駅に成るのですね。深さ30m
    として、5階相当でしょうか、東京駅、上野駅も、3基位エスカレ-タを使用していると思いました。
    暖かくなったら川越、森林公園の散歩に出かけたいと思います。

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    1. 最強の埼京線という歌がありました.
      代官山ホームも一夜で勾配が変わるそうで、これもチェックしようかと思います.

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  2. 何度か東京に行ったことがありますが、そのころは地下鉄が7層に成っているとか、
    一番薄い交差部は6mの厚みしかないと聞いて驚いたりあきれたりしたものです。
    (現在は最多で何層くらいになっているんでしょうか)

    以前は、千駄ヶ谷に叔母夫妻が住んでいて、前を綺麗な小川流れていて、両側には小道があり、随分閑静なたたずまいでした。(正面には明治神宮があり)

    何年か、何十年たち勤めだして、出張の帰りに泊めてもらったりしたときは、
    前が大きな道路とお寺の下をくぐる道路の交差点が出来ていて、信号につれ止まったり発進したりと大騒音の渦巻くところになっていました。
    左はビクタースタジオ、もっと行くと二手に分かれ競技場と駅、もう一方は JUN だかの何かのセンターでした。

    これは発展というんでしょうか、不幸せの増幅だと思うんですが、毎日見ている人たちには感じられなかったんでしょうね。

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    1. 千駄ヶ谷のあたりが大きく変わったのは首都高速ができてからでしょうか?
      国道246などのように上が高架の首都高だと地面が暗くて商売のためにもよろしくない感じがします.

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  3. 変わったのは、オリンピックぐらいからのようで、私が行ったときはまだ首都高速がありませんでした。

    ところで、首都高速をもう一度下に戻すらしいと聞いたんですがそんな計画はあるんでしょうか?

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    1. 日本橋あたりの市民運動だと思いますが、首都高を地下化して日本橋に空を取り戻そうという運動のことは聞いたことがあります.それくらいですかねぇ?

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