2019年2月7日木曜日

【回路設計】アートワーク屋の思い出

eagleでプリント基板を設計中だ.プリント基板の配線パターンを描く作業を電機業界用語でアートワークと呼ぶ.

趣味でアートワークをやるのはなかなかヤバイ作業になってしまう.趣味だから時間無制限でアートワークすると、こだわりが無制限に溢れ出して終わらないのだ.仕事でやるなら終電時刻や締切日があるので「ここで打ち止め」になるけど趣味では終わらない.

現代ではアートワークCADが何種類も登場して素人でもお安く使える有り難い世の中になったが、ふと「昔は手貼りだったな」と思い出したので年寄りの昔語りに付き合ってもらおう.

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【1987年】
パソコンが登場する前のことだ.インターネットもケータイもまだない.

わたしがプリント基板設計に最初に関わったのは、社会人になってすぐ、ソニーのオーディオ開発本部に一時期通っていた頃だった.発売されたばかりのDATのコンタクトプリンタを開発している部隊の仕事を手伝った.
↓BVH-2000という1inch VTRが改造母体で、CPUは8085のアセンブラ、servoはアナログ回路、ロジック回路にはたくさんの74xxが使われていた.新人のお勉強の題材としてはこれほどふさわしい機器は滅多に無かろう.隅々までしゃぶりつくした.
↓筐体の下部に25x13cmほどのカード基板が10枚ぐらい刺さっている.まさにこれだ.載っている部品の時代感もまさしくこれだ.
試作phase2のためプリント基板をversion upするとのことで、配線パターンの「版下」を見せられた.版下というのは配線パターンのマスクのことだ.
↓今では考えられないが、新聞見開きぐらいのサイズ(4倍寸)の透明フィルムにマスキングテープを手貼りしたものが版下だった.当時はまだCADが死ぬほど高価だったので手貼りだったのだね.
その後の5年間ぐらい(1992年頃まで)は手貼り版下を使っていた.
その間によくお世話になったのが、海老名駅周辺に事務所があった「碑レイアウト研究所」といういわゆるアートワーク業者だった.1人でやってる会社だったと思う.碑さんと呼んでいたけど本名は中村さんだったかな...宮崎駿のそっくりさんだった.アートワークが上手いと言われていた.

この当時の手貼りアートワーク屋さん達は、トレス用紙に手書きで配線パターンの下書きをしていた.それをスケルトンと呼び、発注者はスケルトンチェックをしてから手貼りにGOを出すのが作業フローだった.スケルトン図面の運び屋はいつも「赤帽」だった.pdfやjpgなんか無かったからね.

【1990年代前半頃】
1990年代になるとIBMがダウンサイジングとかいって、それまではメインフレームやVAXで処理されていた業務をPCでやっちまおうと主張し、いわゆるDOS/Vパソコンが氾濫する.秋葉原にも氾濫する.PC-9801は次第にジリ貧になってゆく.

その頃のソニーは「手貼り版下」から脱却し、CAD運用に切り替えを進めたようだ.そういう切り替えは資材の仕事である.「CADソフトのXXXを導入してください.さもなくばXX年以降は発注しません」とアートワーク業者に通告するのだ.

これねぇ、通告されたアートワーク業者にとっては死活問題だったと思う.2018年の現在では無料みたいな価格でCADを使えるけれど、1990年代初頭はDOS/Vが普及しつつあったとはいえ、まだまだCADソフトの高価さたるやクルマぐらいは軽く買えてしまうほどだったと思う.廃業するか高価なCADを買うか?アートワーク業者さんは寒い思いだったに違いない.

碑レイアウトのおじさんはどうしたんだろう? 噂によると、零細アートワーク業者達が寄り集まって会社を興しCADに投資し、碑さんはそこでアートワークの仕事をしていたらしい.なんかホッとした.

別のアートワーク業者からの伝聞だが、CAD導入指令と同時期に、NDA契約も強化されたらしく「回路図情報を松下のような競合他社に流したら莫大な損害賠償を請求するぞ」という通告もされたとか.その契約書に貼られた印紙の額がなんと30万円だったとかで、一体いくらの賠償額が記載されていたんだろう? こわー

【1997年頃】
日本ヒューレットパッカードに勤務していた.測定器事業部だ.
ここでのアートワーク業務にはかなり驚いた.

回路設計の会社はどこでもアートワークを外注している.外注しやすい業務であるし、外注した方が人件費の節約にもなる.なので自社内にアートワーク技術者を抱えている会社なんか何処にも無いだろうと思っていたんだ.

ところが、日本HPには事業部お抱えのアートワーク技術者がいたの.これはカルチャーショックだった.どういう事情だったのかというと、測定器は周波数も精度も要求レベルが高いので、外注アートワーク屋だと技能不足だという考えである.マイクロストリップラインだらけの基板だったりするからね.性能向上のために何度も書き変えるし.

【2000年頃~】
ソニー厚木TECでストレージの設計をしていた.
この頃によくお付き合いしていたのが、山手通りの中落合に事務所があった「パターンアート研究所」だった.なんとこの会社は今でもあるんだね.いやはや懐かしい.本社が厚木なのでソニー厚木と懇意にやってるんだろう.

↓サラリーマンのわたしが最後に基板設計したのは2005年頃、AIT5のドラム基板だった.なぜか持っている.40mm径のドーナツ基板に、FPGA、ADC5ch、±15V電源、OPAMP5ch、再生AMP4chを載せたキチガイ基板だ.懐かしい.
この基板のアートワークもパターンアートさんだったと記憶している.打合せで何度か訪問したことのある中落合の事務所はもう無いみたい.お世話になりましてどうもでした.


2006~2010年まではマネージャー業ばっかりで基板設計は一度もやらなかったと思う.
2010年末に失業し、今に至る.
そして家でeagleでパターン設計をするコトもある生活だ.

かしこ

7 件のコメント:

  1. 図研製基板CADのCR-5000を導入したときはシミュレーター込みで3,000万以上しました。アートワーク屋さんから来たアートワークのチェックする機能だけだったような。
    金回りのいい時代でした。

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    1. ありましたね図研.そしてCR5000.たぶん使ったことがあります.
      お値段のコトは気にせずに使っていましたが.
      昔は会社に勤めてなくちゃ使えない設計ツールや測定器がたくさんあったけど、今では素人でもかなりなレベルまでいろいろ使えますね.

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  2. いつもの通りすがりの人2019年2月9日 10:40

    確かに、昔は「アートワークだけ」で、食っていける時代がありましたね。
    ※うちのほうでは「職人」と呼んでいましたが。かなり規模が大きなものでも、
    分担してやると「グチャグチャ」になってしまうので、結局は
    最後「職人一人」の手でやっていた、とかよくありましたが。
    ※なので、そういうのは職人が
    「山籠もり(本当に、人里離れた山奥でやっていたようです)」
    してやってましたね。

    しかし、図研とか、よく生き残ってますね。昔はCADは、WSとか
    汎用機じゃないとできなかったんで、会社の意味もあったのですが、
    いまや「数万円のPC」でもできちゃうし。
    あと、「自動レイアウト(回路図から自動でアートワーク)」とか、
    初期の頃は「使い物にならない」とか言われてましたが、
    最近のはどうなんだろう?(今は現業でないので知りませんが)

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    1. 職人という呼称もあるんですね.なんか建築現場みたいでいいなぁw
      ネットの無い時代であっても職人さんの居場所は岩手県だとか地方都市への分散は多かったみたいです.今じゃ外国にまで分散しているんでしょう.

      図研さんは横浜にあるみたいで、何の用事だったか忘れましたが訪問したことがあります.電磁界シミュレータだったかな完全に忘れた.CR5000はあの時代の人には有名なようですね.さすが図研.

      自動配線の動向はさっぱり知らないですが、自動配線AIがいたらアホパターン引きそうでこわー

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    2. なぜかこの記事のPVが多いです.
      電気屋のお仲間さん読者がそんなに多いのだろうか???

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  3. 同世代ですがまだ使ってます。今はCR8000ですね。メカCADと連携出来るので基板の形状がメカCADで回せます。アートワーク屋さんは外注で優秀な職人さんがいましたが低年収を嘆いて不動産業界に転職していってしまいました。

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    1. なにやらアニメーターの低賃金みたいな話ですね.

      世の中にはよろず設計の需要はあるんですが、仕事の大変さのわりに設計費用が安くて嫌だなと思ってしまいます.

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