2014年3月25日火曜日

祐天寺のカーナピーナがオーナー体調不良で休業中

わたしが30年通い続けている祐天寺のカレー店「カーナピーナ」が、3月中旬ごろから休業中です.   http://home.f00.itscom.net/kanapina/pc_main.html
オーナーさんが体調不良とのことで、数日毎に臨時休業期間が延長されまして、現時点では3月31日まで休業するとの表示がホームページに出ています.

風邪かな?と思っていましたが、長引いていますからちょっと心配です.

オーナーさんの早期回復を祈っております!

ちなみにわたしはというと、禁断症状で手の震えが止まりません.あぐあぐ、、

かしこ

追記: 4月4日復活を確認! http://hirasaka001.blogspot.jp/2014/04/blog-post_4.html


人気ブログランキングへ

10 件のコメント:

  1. 早く元気になってくれるといいですね。
    私も、長年通っているお店があります。やはり個人オーナーの人が
    やっているお店ですので、将来どうなってしまうか心配ではありますね。
    実際、25年、食べに行っていたお店が突然閉店になってしまったケースが
    あります。とにかく、毎回これが最後かもしれいないと思いながら
    大切に、味わって食べる事が重要ですね。
    そうそう、25年くらい行っている小さなカレー屋が荻窪にあって
    しばらく行っていないな〜。今度行く事にしよう。

    返信削除
    返信
    1. 行きつけのバーが閉じてしまったりしました.
      個人経営のお店はオーナーさん一代限りってのが多いですねえ.
      ラーメン屋のように弟子がのれん分けとかしてくれないものでしょうか?
      ともあれ復活の日を待ちわびです.

      削除
    2. 個人経営、個人事業も大変ですね。でも、大手でも技術の引き継ぎが
      出来ていないから、以前作った物も作る事が出来ない事が起こって
      いるようですね。このままで行くと将来が不安ですね。
      また、何処に行っても同じ様な話を聞くのですが、
      今の若い人は、すぐにあきらめてしまう、知らないことはやらない
      言われた事だけ上手にできる、と言ったことが多いようです。
      昔の様に
      出来ないとか知らないとか言うのは恥ずかしいから隠れて
      練習したり調べたりしないのですね。

      削除
    3. 「あしたのジョー」的な成り上がり根性とは正反対の社会教育を受けて大人になったゆとり教育の人々ですからね.なんで努力して打ち克たなくちゃいけないの?ボクはそんなの嫌だもんみたいな事を言うのを恥と思わないっつーかなんというか.

      新人を採用しなくなって、高齢化が進んで、トランジスタで差動増幅回路をチョロッと作れる人なんか、大手電機メーカーで50歳以上のロートルしか居ないんじゃないでしょうか?

      COBOLというコンピュータ言語をご存知でしょうか? 40年ぐらい前に自治体のシステムなどで盛んに使われた言語です.その老朽システムの更新時期の今になって、COBOLが判る老齢プログラマが駆り出されているという、ある意味美味しい状況がシステム屋にはあるそうです.COBOLはさすがに知らないわたしです.BASICなら判ります・.

      削除
    4. そうなんですね〜。
      以前、簡単なプログラムを若いソフトウエアエンジニアに
      頼んだんですが、やった事無いので出来ませんって言われて
      目が点状態になってしまいましたよ。
      じゃあ一体いつスキルを身につけるんだよ!
      って思いますよ。

      COBOLはさすがに学校でしか勉強していませんね。
      それもパンチカードです。
      FORTRANもやりました。これは紙テープ。
      COBOLは60歳前後の人が最盛期ではないでしょうか?
      多分、アセンブラなんかでで記述した古いシステムをこれから
      置き換えで出てくるんでしょうね。

      BASICは50歳代の人には嫌われているんではないかな?
      GOTO「行番号」文の記述が特に嫌われていたからなー。

      コンピュータ屋は、どんな言語、媒体を使っていたかで
      年齢があるていどわかってしまいますね。

      削除
    5. わたしはCOBOLの言語仕様も画面も一秒たりとも見たことがないんです.伝説の言語COBOL.60歳ぐらいのCOBOLロートル達がやけに元気なのだと、某社のSEから聞きました.なんでだろ?

      わたしにとってのFORTRANは大学の電算室にあったらしいけど、PC9801VMでN88BASICで計算すりゃいいじゃんと思って電算室には一度も足を踏み入れたことはありませんでした.土木工学科の先輩が構造計算やってましたけど、FORTRANでしかアプリが動かなかったのだろうと思います.

      ~強者共の夢の跡~

      削除
    6. あの頃の汎用機は大変でしたからね。みなさん若い頃を懐かしんで
      仕事しているではないでしょうか?あの頃は徹夜が当たり前でしたし。
      私の周りでも昔の話で盛り上がる事よくありますね。

      汎用機は24時間動いていて
      それによく止まったから、夜中でも電話でやポケベルで起こされて
      メンテナンスしたからね。それも音響カプラで。
      その連中は給料は良かったしね。皆元気があったよ。

      削除
    7. うむ、皆よく頑張った.
      給料が良かった時代だからイケイケ状態だというのは言えてるでしょうね.
      1990年代になるとダウンサイジングで、さらに2000年代になるとデフレで、1980年代と比べると請負単価が1/3ぐらいになったのではないでしょうか?

      削除
  2. 新入社員の時期、日本電子振興協会と言うのが有りまして、電子計算機と呼ばれていた時代に講習会で少し勉強した程度で終わりました。10年後位に、サ-ビス部品の在庫管理で計算課の人と打ち合わせを持ち、ラインプリンタ-に出力して貰った事が有ります。
    その頃から、事務用ではPL1(IBM)で書くとか言っていました。計算課のProgramerは
    ASMで組んでいた様な?Index、Indirectだの言っていました。私には、良く分かりません
    でした。IBM PunchCard、紙テ-プだの古い媒体が使われているので、この時代の仕事は、重たい物を持つ、重労働の様に思います。

    返信削除
    返信
    1. PL1は名前だけは知ってます.
      紙テープは、子供の頃に近所の駄菓子屋で売られてました.カラフルな色帯が印刷された謎の物体でした.パンチカードは子供の頃に近所のゴミ捨て場によく捨てられていた謎の物体でした.

      削除