2019年8月25日日曜日

電子立国日本の自叙伝2019

1980年代には世界一の地位にあった日本電子産業、現在では凋落の影が濃い.本作は、1990年頃の我が国(東北地方)の風景を通じて、日本電子産業の再興を企図するものである.


2019年8月、都内某所の美容院にて.東北出身の女性美容師が語る..... (聞き手ヒラサカ)

女子: 週末に来るのは珍しいですね

ひら: ちょっと平日忙しくてね.働いてるのよ

女子: へーどこで?

ひら: 大田区の金属加工工場.あまり難しいことはしてないけど

女子: バリ取りとか?

ひら: (なんと図星じゃん.なんだこの人、板金工場経験者か?) お主、何奴?

女子: お母さんが内職してて、子供の頃に手伝わされたのね、少しならいいんだけど、段々とノルマ化して大変になるの.家が工場みたいになっててー

ひら: あはは、それでバリ取り知ってるのか....  オレ先週の作業でバリ取りがすごい大変だった

女子: 内職ってバリ取りだけみたいな単純作業が多いんだけど、うちのお母さんはまとまった仕事を受けて、何を作ってたかというと「スーパーファミコンのコントローラ」

ひら: えぇ~っ、スーファミ持ってたよ.灰色のコントローラ.あれって内職で作ってたんだ? 今じゃ中国とかバングラとか....

女子: でしょうねぇ.あたし半田づけ担当w.なぜか半田がうまい小学生

ひら: そんな小学生滅多にいねぇw.オレより絶対に上手かったと思うね

女子: 上から吊るしたドライバーもあった

ひら: トルクドライバーね、ちゃんとしてるじゃん.変なネジ使ってなかった?

女子: う~ん、六角形っぽかったかしら?

女子: 出来上がったらビニール袋につめるのは妹の仕事

ひら: あわわ、、、妹も....

ひら: みんなのために家族でスーファミを作ってくれてありがとうございました


wikiによるとスーファミの発売は1990年だそうです.東北地方の内職家族がスーファミのコントローラを作ってくれていたんですね.ドメスティックだなぁ.
かしこ

10 件のコメント:

  1. 先週末久しぶりにラジオセンターに行きました。1階で売っている部品が中学生の頃とあまり変わってなくて、うーんと唸りました。
    アリババで買った変換基板から信号を引き出す為の2mmピッチのコネクタを探しに行ったのです。2階のお店で見つけて買いましたが1個1,000円して、またうーんと唸ってしまいました。

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    1. そうゆうのはaitendo末広町店がオススメです!

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    2. ありがとうございます~!
      今度覗いてみます。
      知り合いから頼まれてLVDS→HDMI変換を試しているのですが、国内では見つかりませんでした。ダメもとでアリババを初めて覗いてみたらあっさり見つかりました。
      それ以外も眺めてみましたが、日中の勢いの差を痛感しました。

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    3. 深浅にはたくさんのものがございます

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    4. これまで平坂氏のブログでさんざん読んできたのですが、自分ごとで体験するとショックですね。

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    5. あーオレもう慣れた。
      明るく絶望しましょ。

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  2. 私も伯母の内職を手伝いました。DIPパッケージのTTLを20個位ずつ、ハトロン紙で包んで10cm角位のボール紙の箱に詰めるの。1972年、今思うと、TIの川口工場?の仕事だったのかしら。

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    1. その内職って聞いたことがあります。ポピュラー内職だったりしたのかなぁもしかして。
      TIの工場が川口に在ったのも驚きです。

      1972年でしたら7400とかでも単価数100円してたかもです。20個入りで1万円近かったりして。(汗)

      わたしが回路ホビーストデビューしたのはもう数年後で、1975年ぐらいでした。アキバデビューは1977年だったか....

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  3. 内職=昭和ノスタルジー・・・って平成じゃん!^^)。
    あと10年もすると、中国の人達も”あの頃は内職もしてさぁ…”
    っとか懐かしむのかしら。

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    1. はっ、1990は平成だ! わたしも気付かなかったとです.

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