昭和育ちのヒラサカとしては、ネットワークビジネスというとAmwayを思い出します.かつて所属したソニーマグネスケールで大流行して同世代の者達が目の色を変えてビタミン売ってたあれは何だったのだろう? 君達の閉塞状況は理解するが、Amwayはその打開策にはならないってどうして分からないかな?と軽蔑して観察してました.一方その頃わたしは転職活動してました.
それから四半世紀が経った現在、ネットワークビジネスとはAmwayほど限定された意味ではなく、SNSで知り合った者同士がZOOMのvirtual meetingでなにか起業する場面を指す用語に変わったように思います.
ウチの奥さんもそんな活動をしていて「今夜はZOOM」などと言って毎晩のようにmeetingしています.定職についていないウチの奥さんが暇なのはわかりますけど、他のZOOM参加者がどうしてあれほど暇を持て余しているのか不思議です.
リビングでZOOMしていると会話の内容はそれとなくわたしの耳に入ります.
ZOOM GPの中に非常にユニークな持論を展開する人がいるんです.彼の主題は「一度でいいから限界超えてみろ」なんです.2~3回聞いたかな.その度にわたしは椅子からズリ落ちそうになりんす.
彼は自分の業務で限界を超えた体験をしたそうです.その体験から「大抵のヒトが現状打破できずに停滞している.だが限界超え体験をすれば誰でも現状打破できる」と確信したようなのです.なので、新ビジネスにもその気概で取り組むべきだ!との論旨で参加者のモチベーションを高めようとなさるわけですね.
あははー、それってSNS projectのモチベーションアップには通用しないから.(爆笑)
限界突破氏はこんなことも言ってました.「オリンピック選手は『もう競技辞めたい楽しくない』と思っているけど、限界を突破する気力で闘っているのだ」
それは正しい.そこまで判っていながら、どうして凡百の者共相手に「限界突破のススメ」なんて説けるのかな?
限界突破出来る奴は普段から何度も限界突破しているものです.限界突破出来ない奴は一度も限界突破せずに凡庸な人生を送ります.他人から促されようとしまいと各個人の限界突破能力は最初から決まっていて不変です.だから限界突破説はprojectのモチベーションアップに寄与しません.
そもそも他人に促されてする限界突破なんか限界突破と呼べないと思います.
成功したらIPOみたいな報酬刺激でする限界突破なんか業務上の優先順位問題に過ぎません.だから限界突破氏の言う「業務で初めて限界突破した」なんかそれを限界突破にカウントすんなよといいたい(笑).そんなの金銭で目の色変えてるAmway参加者と同ランクじゃないですか.
無報酬だけど達成欲求が止まらない状態なら限界突破とカウントして良いと思いますがね.
子供に向かって「夢をあきらめるな、夢を捨てなければいつか必ず夢は叶う」と言った日本人宇宙飛行士がいました.反吐が出るぜ!と思いました.理系のクセに、必要条件をあたかも十分条件の如く語るのはキモイからやめろ.でもその宇宙飛行士のイミフな全能感って限界突破氏のそれと似てるんだよな.
限界突破氏には是非こう断言して笑いものになってもらいたい.
ありえん
【限界突破のススメ】
返信削除なんか天元突破とか覚悟のススメみたいで混ざってます。
ありえん
ありえんボインという人がいました。
くだらなくてスミマセン
覚悟のススメをぐぐりました.「覚悟完了」ってのがイイネ.
削除ボインさんはオランダ人の教授ですね
>他人から促されようとしまいと各個人の限界突破能力は最初から決まっていて不変です
返信削除私は、「個人の能力は、生まれながらにして(ア・プリオリに)ほぼ決まっている」
と思っているので、よく、学習塾などでよく言っている、「不得意を伸ばす教育」は、
まったく的外れなモノ、と思っています。
※「朝飯前」などという言葉があるように、「何かができる人」は、
「何もしなくても最初から出来る」と思っています。ここで、
出来るからやる→やってると上手くなる→やることが楽しくなってくる→もっとやる→初めに戻る・・・
という「正帰還ループ」が出来上がって、「できる人は、ドンドン出来る」ようになります。
※「出来ないことを、嫌々やっている」と、この逆のループができて、結果的に、
「嫌いなものが、益々嫌いになる」という結果を生みます。
(今の日本の学校教育が、この典型ですね。まぁ文科省は、この現実を認めないだろうけどね・・・)
※ちなみに、ある調査によると、日本人の8割が、「仕事を面白くない」と、思っているそうで、そりゃあ「出来ないことを、嫌々やっている」んだから、
「日本は衰退する」よな・・・
(ちなみに私は、そんなに仕事は嫌いではありません。一応2割のうちに入っているのかな?)
>オリンピック選手は『もう競技辞めたい楽しくない』と思っている
これはウソですね。曲がりなりにも選手に選ばれるくらいだから、
「競技自体が楽しくない」ワケがありません。ただ、上にも書いたように
「個人の能力の限界」は、あるので「自分より能力が上の選手」がいたら、それは面白くないでしょうね。
※最も「個人の能力を正確に測ること」は出来ないので、いわゆる「気力」の部分で、
能力を上げることはできるでしょうが、長続きはしないと思う。
「限界突破のススメ」っていうか、全員「適材適所」にすれば、みんな勝手に
「限界突破」始めますよ・・・
(まぁ、他人から「そう見えてる」だけなんですけどね・・・)
上訂正
削除最も「個人の能力を正確に測ること」は出来ない
↓
最も「個人の能力の限界を正確に測ること」は出来ない
ですね。能力は測れるから「競技」が、成り立つわけです・・・
わたしは体育が嫌いです.あと音楽も嫌いです.リコーダーとかハモニカとかバカじゃねぇの? ぎゃははのは.ところが大学行ってもまだ体育なんかあるのかって驚きました.
削除なんと職業訓練校でも体育がMUSTなんです.もっとも、体育の単位のために100m走や走り幅跳びをするのではなく、高尾山登山でしたからマトモでしたが.
もう5教科以外は選択制でいいんじゃね?って思います.
音楽理論についてわたしのピークは中学生でした.転調とか.#♭のつけかたとか.いや~もう中学生の時の自分は賢かったなぁ.
若いころからの知人ももう50歳を過ぎて還暦近いヒトもいるわけですが、年齢相応の知見を増やして来れたヒトと、若い頃よりも知的に衰えたんじゃないかと思えるヒトと、若い頃と同レベルのままのヒトとが、1:2:1ぐらいの比率で存在するような気がします.
削除なので定年延長なんかしたらなんだかなぁと思ってしまいます.