2013年11月13日水曜日

そこはかとなく平成の終わりを察知してみた

平成18年歌会始にて秋篠宮(皇太子の弟さん)が詠みける歌.
「人々が笑みを湛へて見送りしこふのとり今空に羽ばたく」

時は小泉政権の終わりの頃、皇室典範を変更して女系天皇でもOKにしようとしていました.まさにそのタイミング、平成18年の歌会始で、秋篠宮が”コウノトリ”の短歌を作り、まもなく紀子さんのご懐妊が発表され、女系天皇論は下火になり、同年9月に悠仁さんが産まれました.この流れって、女系天皇なんか反対なんだぜっていう皇室からの密かなカウンター攻撃だったのだという説があるんです.たぶんその読みは当たっているのでしょう.皇室もなかなか粋なことをしますなぁ.もしかして”見送りし”は女系天皇論を”嗤って見送る”という意味かしら? だとしたらますます粋だ.

皇太子と雅子さんに男子が産まれていれば女系天皇論も出なかったと思われますが、生理の有無を侍医に報告するしきたりに雅子さんが激怒したといわれるように、雅子さんは外交の仕事をやってた割に世間知らずなお方のようで、フツーの核家族にでもなったような気分じゃぁ困るでしょうにとわたしなんぞは思います.皇太子ご一家のことを東宮家と呼びますが、皇位を継承するのは東宮家よりも秋篠宮家の方がいいんじゃないの?という外野の人々もいるくらいです.コウノトリの貢献もあったわけだしみたいな.

外野ですら東宮or秋篠なんて言ってるくらいですから、千代田区界隈で働いている皇室関係者、宮内庁、皇室マスコミの人々で東宮or秋篠の件が多かれ少なかれ話題になっていても不思議じゃないだろう、という背景的知識をアタマに入れた上で、先週の週刊新潮(たぶん)の記事がわたしの心の琴線にひっかかりました.

週刊新潮のその記事は、秋篠宮の予算が東宮の数分の一で紀子さんが苛立っていてスタッフに当たり散らしているという記事で、要するに紀子さんをdisる内容でした.それが事実かどうかはさておき、紀子さんをdisっているところに注目かと.

一方で、永らく体調のすぐれなかった雅子さんが、春のオランダ訪問(オランダ皇室の結婚式だったと思いますが)をきっかけに公務をたくさんこなすようになって目出度いよねっていう記事が近頃は増えているように思います.かつてさんざdisられた雅子さんでしたが、今は追い風な扱いにチェンジしたところに注目かと.

そんな皇室マスコミの態度変化を見るわたしがそこはかとなく思うに、平成の世も先々それほど長くは続かないと予期した皇室マスコミ(あるいは宮内庁)が、東宮家は復活なさりましたというキャンペーンを盛んにしたい意図でやってることで、平成の終わりに向けて千代田区界隈の方々が助走を開始したのだろうなぁということです.

元号の切り替わりによって世相が大きく変わるなどとは信じないわたしではありますが、とはいっても昭和があのバブルとともに終わった劇的さは印象的でした.平成の終わりとともに不景気が終わったりしないもんですかねぇ? なんつって不敬でスミマセン.orz

#わたしの名前は久門と書いて”ひさと”と読みます.紀子さんの子供の名前は”ひさと”になるのさと個人的に予想していたのですが、やや異なる”ひさひと”さんになりました.惜しかった、、、

かしこ


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2 件のコメント:

  1. 今まで見ていなかったかぐやの画像集を見ました。
    http://www.youtube.com/watch?v=zq6L7qxTNQc&list=PL25A9AECB2D213E35
    糸川から帰ってきたのはガセだと思っていましたが、着陸艇の構造を見たときは、これだけは本物と思っていましたが、かぐやを見てからは、天文学的確率をくぐり抜けてきたのもあり得ると思いました。
    しかしこれを見たメリカは居ても立っても入られないくらい、妬くだろうと思いました。
    asimoを見たメリカや国外勢の反応を見て、(アポロはいったい何だったんだ、ソ連ロシアの無人着陸艇から見ても・・)
    その点をいつも心にとめておかないといけないと、確信しました。

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  2. 歴史を調べてみますと3方ほど女系天皇があり、一人は男勝りで敏腕をふるったそうですが、
    後は夫の天皇死後、次代に換わるまでの、名目的地位で実際は摂政が政治をすすめていました。
    天皇史に拠りますとはじめは絶大な権力と武力を使い、総べていました。
    後になると、武家政治が進行し、その間何度も革命があり、南北やそのほかで入れ替わったりしていたようですが、最終 孝明天皇 明治天皇となり(これも革命的ともいわれています)、現在に繋がっています。

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