2018年7月7日土曜日

オウム事件の頃、オレって何してたかな?

オウムの死刑囚が一気に何人か処刑されたそうで、おめでとうございます.

あの頃の自分は何やってたかな?

1995年のサリン事件の数年前からオウムの活動は選挙やTVで目立ってました.本屋によってはオウムの布教本が置かれていて、麻原が空中浮遊している写真はそういった本で知ってました.わたしはオカルト方面の人なのでオウム本もチェックしてたんです.当時はアガスティアの葉が流行してましたかね.
一連のオウム事件を分析する評論家達が「若者がオカルトに染まる風潮」を指摘していましたけれど、わたしだってオカルト大好きで、チャネリングセッション見学とかちょくちょく行ってた身なんで「オカルトのせいにすんじゃねぇよ」と不満を感じてました.
時代的雰囲気としては、バブルが崩壊して間もない頃で「サラリーマン稼業なら安泰だ」が通用しなくなった時期でした.そんな不安心理が蔓延するところに「サラリーマンなんかもうダメ、年収3000万円の副業がある」って勧誘してたのがAmwayでした.わたしの周囲には「Amwayこそ理想なのだ」と誤解して身を持ち崩す奴等がうようよ居ました.
オウムに惹かれた若者達の心理はAmwayに逃げ道を求めた者と同様に「バブル崩壊後の居場所探し」だったんじゃなかったかとわたしは思うんです.Amwayからサイエントロジーへ放浪しあげくオウムに行き着いてしまうみたいなさ.無駄な悪あがきとしか言えんが、Amwayは本当に大勢いた.

1995年は年初から酷い年でした.阪神淡路大震災+地下鉄サリン+上九一色村のサティアンにガサ入れ、こんなのが1~3月の間に立て続けに起きましたからねぇ.
その頃、わたしは30歳で三軒茶屋のアパートに住んでいて、所属はまだソニーマグネスケールの社員で、ソニー芝浦TECの技術研究所の黒いビルに勤務していました.503号館だったかな? うーん忘れた.ソニーマグネスケールも黒いビルももう無くなりました.

地下鉄サリンの当日は、結婚する前の奥さんが三軒茶屋のアパートに遊びに来ていて、普段の彼女なら通過する日比谷線築地駅でサリンが撒かれたと知り、命拾いしたじゃねぇかと唖然としてました.
補足:サリン当日の行動を奥さんに確認したところ、三軒茶屋なので半蔵門線を利用して出社したら、社内がざわついていて「何かあったんですか?」と聞いたら築地がサリンだったそうです.おぞ~

サティアンへのガサ入れの後は、オウム信者達の滑稽な振る舞いでTVが全面的に占拠され、日本中が狂気に包まれました.上祐の会見、青山弁護士の逝っちゃってる目つき、村井がTVカメラの前で刺殺、、、あの狂気の時代が懐かしいです.

昨日、オウムの死刑囚が一気に何人か処刑されたそうで、おめでとうございます.来年の御譲位を前にゴミの大量処分ということでしょう.なんてったって平成の大罪人ですから、あんなのを次の御代まで残しとくわけにはいきますまい.まして恩赦なんかとんでもねぇ.

悪事を働けば国家に殺される、それで良い.
アホ弁護士とかアホEUとかアホとかが死刑廃止を~と云ってるけど、あんな戯言は無視していればよろしい.

かしこ

2 件のコメント:

  1. 今に比べるとなんだか絶望的な時代でした。政府や政治がデタラメでその頃は田原総一朗とか小林よしのりとかを頼もしく見てました。なかなか悪が成敗されずはびこってたような。
    昨今のポリコレ流行りには辟易してますが、当時の絶望感よりだいぶ良いのかも。
    自分も八丁堀から相模原に職場が移った後でしたのでサリン被害にも遭わずに済みました。セーフ。
    死ぬことで仏様になり全部許されるという日本独自の感性と死刑制度がセットになっている気がするので、国内外の部外者に納得してもらうのは難しいてすね。

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    1. 八丁堀もやばかった感.

      思い返すと平成は一貫して暗くシャキッとしない時代でした.
      社会人としてのわたしはその平成を生きてきたのですから、シャキッしないわけだと思います.

      死刑については、欧米のその場で撃ち殺す主義を採用してる奴等が何言ってんだバカが、笑わせんな、ということでー

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