2018年8月23日木曜日

壇ノ浦って下関だったの? →平家滅亡

下関には関門橋がある。クルマが走っている。なんと歩いて渡る事も出来るらしい、歩道の看板が出ていた。

その関門橋の下関側の橋のたもとが平家滅亡の壇ノ浦だって知ってた? オレ全然知らなかったにょ。この写真の左側が壇ノ浦。
平家の一党が滅んだ場所って、姫路の辺りか、西に行ってもせいぜい福山辺りだったんじゃね? そんなイメージだったんだ。

本州の西の果てまで追い詰められた平家の立場を想像するに、九州へ落ち延びるか、それがダメなら対馬経由で朝鮮へ逃げるプランも持っていたのかなと、下関に来てみて思った。義経軍に海上封鎖されてニッチもサッチも行かなくなっちゃったんだろうね。

源義経はヤリ過ぎだったんじゃなかろうか。安徳天皇を死に追いやり、あまつさえ三種の神器が海に沈んでしまうんだから。草薙の剣はまだ壇ノ浦に沈んでいるという説もある。

ところで、わたしの姓は平坂なので平家の関係かというとそうではないらしい。義経と一緒に東北へ逃亡した佐々木という侍が頼朝の追手から逃れるため平坂を名乗ったのだとか。

かしこ

6 件のコメント:

  1. 歩いて渡ることの出来る歩道は、たしか地下トンネルになっていたとおもいます。
    県境のところで、こっちから山口県、こっちまでは福岡県と床に書いてある。

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    1. https://gurutabi.gnavi.co.jp/a/a_1457/

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    2. なぁんだ、地下じゃつまんないね

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    3. いや、それでも天気に関係なくジョギングが出来ますし、県境をまたぐときはいつも興奮しますです。

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    4. 地下まで降りるエレベーターは、大げさでメカニックに興味のある人は興奮しますです。

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    5. 県境なだけじゃなくて本州から九州へ歩いて行けるのはおもしろいので今度行ったら見学してみます.けれど下関に行く機会があるかどうかは不明です.

      高杉晋作の死んだ土地が下関駅の北にあるみたいなんで、そこも見学してみたいんです.

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