こんばんは。シーサイドラインとブルーラインの違いがたぶん一生わからないヒラサカです。
朝ドラ「なつぞら」はすずが上京して3週間目ぐらいかと思う.今週からは東映動画編に入った。
すずの隣席で色塗りしてる娘のモデルは保田道代のようだ。保田氏はジブリアニメでもテロップで名前を見かけた人だ。色指定とか色彩設定として長期間宮崎駿を支えた人.
わたしがなつぞらを観始めた理由は東映動画編を観るためだったのだが、草刈おんじがいた十勝編の方が面白かった.上京以後はいまいちなので今日はそのへんについて書こうと思う.
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すずの兄が新劇系だとバレて東映動画への入社試験に落ちたエピソードは、ドラマとして面白いとは思わなかったが、旧い東映動画好きとしてはリアリティを感じた。
すずはS31に東映動画に入社.S38か39には宮崎駿高畑勲が入社する。S40年代に入って「ホルスの大冒険(S43)」を制作するんだが、この当時の東映動画は労働争議で大荒れになる。私の記憶が正しければ丁度その時の東映動画労組委員長が高畑勲、副委員長が宮崎駿だった。そしてホルスは労働運動マスカキ映画になった。
ホルス公開から20年近く経って、アニメ関係の知人からヒラサカが聞いたハナシでこんなのがあった.
「僕はアニメ演出家志望で東映動画の最終面接まで進んだんだけど、興奮して左翼の主張を口走ってしまって、僕はあれで落とされたんだと思う。昔の東映動画は労働運動で大荒れだったからその反省があるんだろう」
その知人が言ってた労働争議とはホルス制作当時の事を述べていたのだと思う。
すずが東映動画を落ちたエピソードでその知人を思い出した。なつぞらの脚本家は東映動画における大荒れ労組を当時の関係者から取材したのかもしれない。
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東京編 東映動画編の視聴率はやや下がっているらしい。東京には草刈おんじが居ないし、すず兄の暴走は見苦しい。
すずがまだ十勝のJKだった頃、すずが初めて観たアニメは8mm上映のポパイだったが、S10年代制作のポパイでアニメ制作を志すってのがレアケース過ぎて、わたしはついていけなかった.父親が描いた絵がアニメータ志望に繋がったという筋もあるが、イラストとアニメは違う.十勝で漫画映画に恋焦がれているすずに納得できなかったわたしだ.
東映動画編に入っても違和感が継続中だ.
草創期アニメーター達の意欲は「絵に命を吹き込む」ことだと描かれている。すずの意欲もそこにある。
それは本当にそうだったのだと思う.
すずが「白蛇伝(S33)」の制作スタッフに加わった当時のアニメ制作は、時間と金をかけて丁寧に人物画を動かすのだけで意義があったし、またそれだけで精一杯だった.
けれども、アニメの演出テクはその後10年ほどで急速に進化して、S41に魔法使いサリー、S42にマッハGoGoGo,ピュンピュン丸、S43に巨人の星まで進化したんだから。アニメーターの技量が芝居の優劣を決定する段階なんか白蛇伝から10年も経たずに去ってしまい、脚本や演出によるドラマが主要素になった.そういうアニメを観てわたしも読者の皆さんも生きてきたのである。そんなアニヲタが60年前のアニメの芝居論を振り返ってみても新味が無いのよ。(今の若年者に1stガンダムの偉大さが理解できないのと同じことだ)
ましてパンピーにアニメ芝居論を観せて面白がるわけがない.
わたしのような旧い東映動画のマンガ映画好きなら、上で述べた様に「おっ保田道代だ」などと楽しめるが、そんなところを観てる奴は少数だろう。
戦災孤児が漫画映画を作る夢を叶える「なつぞら」が、アニメートの素晴らしさという、アニヲタにもパンピーにも伝わらない喜びを今後も描こうとするならば、視聴率はダラ下がりになってゆくと思われる.
アニメーターの成長物語はさっさと切り上げて、先輩アニメータの変人ぶりを描くとか、アニメ制作の修羅場を描くとか、恋愛物語にするとか、劇的な路線変更を望むわたしだ.
かしこ
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