2019年1月14日月曜日

都立大マン研年代記 Episode1 マンガ研究会の興り

昨日のマン研新年会の帰りに、創業者のIWさんがウチに泊まった.IWさんからマン研創業期の状況を聞いたのでここに記しておこう.

このマン研年代記は不定期連載であーる.(書けないことがかなりあるなw)

人物名はボカしておくがイニシャルだとわけわからんくなるので、ヒラサカ→HIRASAKA→HR のように苗字の先頭2文字を略して記載する.


【マン研年代記 Episode1   マンガ研究会の興り】

IWさんが都立大に入学したとき、文化部連合(文連)に「少女マンガ研究会」ならあった.
しかし部室は無く、文連から貸与されたロッカーがあっただけ.

公式記録ではIWさんがマンガ研究会を文連に登録したのが始まりであるが、実はその前段階が都立青山高校だったのだ.青山高校っていうのは青山のホンダ本社の近所にある高校だ.すごい立地にあるものだ.

IWさんが青山高校に通っていた頃、クラスメートだったのがTYさんとSGさんだった.
この3名は後に都立大に入学する.

文連登録時の部員は2名.IWさんとTYさん.SGさんは浪人中で未入学.
なぜかそのSGさんがマン研部員募集ポスターを描いた.
というわけで、発足時面子は青山高校だったのである.

部員募集ポスターを見て入部したのが、NNさんとTKさんであった.
ガリ版刷りで発行された会誌「八雲荘」の名付け親はTKさんだったそうだ.

これがヒラサカの入学する3年前の状況だった.すなわち1980年の春のことだ.

つづく

2 件のコメント:

  1. 僭越ながら補足させていただきます。
    ここで書かれているTKとは映研にいたTKGのことだと思われますが、TKまでは同じでバトミントン部のTKH、彼の方がTKGより半年早く入部しました。
    TKGはマン研の方向性について当初様子見状態であり(なぜならば、彼は漫画の創作&発表だけが目的であり、マン研がただのファンサークルだとしたら入部の意味がないので)
    TKGがマン研に入部したのは大学祭の後、1980年11月か12月だったと記憶しています。
    ちなみに私は、1980年11月の大学祭のおいて、マン研会場において個人誌「八雲荘」を販売するTKGを見かけるまで、彼の名前も知りませんでした。

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    1. あ、TKさんとTKGさんの違いがわかりました.

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