このマン研年代記は不定期連載であーる.(書けないことがかなりあるなw)
人物名はボカしておくがイニシャルだとわけわからんくなるので、ヒラサカ→HIRASAKA→HR のように苗字の先頭2文字を略して記載する.
【マン研年代記 Episode1 マンガ研究会の興り】
IWさんが都立大に入学したとき、文化部連合(文連)に「少女マンガ研究会」ならあった.
しかし部室は無く、文連から貸与されたロッカーがあっただけ.
公式記録ではIWさんがマンガ研究会を文連に登録したのが始まりであるが、実はその前段階が都立青山高校だったのだ.青山高校っていうのは青山のホンダ本社の近所にある高校だ.すごい立地にあるものだ.
IWさんが青山高校に通っていた頃、クラスメートだったのがTYさんとSGさんだった.
この3名は後に都立大に入学する.
文連登録時の部員は2名.IWさんとTYさん.SGさんは浪人中で未入学.
なぜかそのSGさんがマン研部員募集ポスターを描いた.
というわけで、発足時面子は青山高校だったのである.
部員募集ポスターを見て入部したのが、NNさんとTKさんであった.
ガリ版刷りで発行された会誌「八雲荘」の名付け親はTKさんだったそうだ.
つづく
僭越ながら補足させていただきます。
返信削除ここで書かれているTKとは映研にいたTKGのことだと思われますが、TKまでは同じでバトミントン部のTKH、彼の方がTKGより半年早く入部しました。
TKGはマン研の方向性について当初様子見状態であり(なぜならば、彼は漫画の創作&発表だけが目的であり、マン研がただのファンサークルだとしたら入部の意味がないので)
TKGがマン研に入部したのは大学祭の後、1980年11月か12月だったと記憶しています。
ちなみに私は、1980年11月の大学祭のおいて、マン研会場において個人誌「八雲荘」を販売するTKGを見かけるまで、彼の名前も知りませんでした。
あ、TKさんとTKGさんの違いがわかりました.
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