2019年1月8日火曜日

【祐天寺】わたしとカーナピーナの35年間について

さきほど新年初営業のカーナピーナでランチを食べた.今年もよろしくと挨拶した.

わたしが中毒になっているカーナピーナのカレーはこのようなもの.スープカレーの嚆矢と言えそうなサラサ~ティなタイプで、クローブリッチでハードな味である.わたしの子供も中毒になってしまい、親子二代でカーナピーナ中毒ということになってしまっている.
わたしの出身地は伊勢原市で、結婚後に神戸市や横浜市や世田谷区などを転々とした後に中目黒に定住した理由の一つがこのカーナピーナ中毒のためと言っても過言ではない.

カーナピーナと共に歩んできた35年間の歳月を振り返り、わたしの知るカーナピーナの足跡をここに記録しておこうと思う.

年月順に書くことにする.

【創業】
カーナピーナのホームページによると1977年営業開始となっている.1977というとガンダム以前ということで、わたしはまだ中学一年生だった頃だ.当然ながらカーナピーナのことなぞ知る由もない.

【1983年、デビュー】
同じくらいの偏差値で電気工学科のある大学というと調布にある電気通信大学と東京都立大学があった.渋谷に近いという理由で当時はまだ東横線都立大学駅にキャンパスが在った東京都立大へ入学した.電気工学科へ入るつもりだったが、マンガ研究会へ入って麻雀を打つ日々が始まる.
入学間もなく、祐天寺に住んでいたマン研の先輩に連れて行ってもらったのがカーナピーナだった.それがわたしとカーナピーナの長い付き合いの始まりだ.1983年から数えると今年は36年目ということになる.
サザンオールスターズの面々が当時のカーナピーナによく来てたらしい.そのせいか店内BGMがサザンだったことがよくあった.
その当時の店舗は現在地から100mほど離れた場所に在った.祐天寺駅へ向かって少し歩いたところ、ホリイスポーツの隣だったと思うんだ.この茶色タイルは当時から変わってないと思う.(この写真は現在のもの)
↓現在の店舗に移ったのは平成に入って間もなくだった気がする.(この写真は現在のもの)
↓ネットから無断でかっぱらってきたこの写真は実は貴重なのだ.ロケーションは同じであるが、今は亡き看板が映っているんだねぇ.7~8年前だったと思うけど、ある日突然看板が消えてしまって、看板どうしたんですか?と訊いたら、金具が錆びたので撤去しちゃったと仰っていた.(2010年の写真)

【カレーの味】
当時はまだインド料理店は今ほど多くなかったし、ハウスのカレールーしか食べたことがなかったし、カレーにヨーグルトが入ってると知ってウゲーッと思っちゃう、そんな時代だった.
最初に食べたときは変わった味だなと思った.カレーなのにサラサラなのって変なのと思ったし、スパイシーさを通り越した強烈な味に面食らった.
それでもしばらくするとまた食べたくなる.そのうちに中毒になった.包丁人味平の鼻田香作は現実なのだよ、わたしにとって.

【カレーの辛さ】
今ではココイチでも辛さXX倍なんてオーダーができるようになったけど、昭和の終わり頃には激辛カレーは珍しかったと思う.
カーナピーナの辛さランクはこんなかんじだ.
  スペシャルホット      宇宙人レベル    (今は無いmenu)
  ベリーホット      人間やめてるレベル     (今は無いmenu)
  ホット            ココイチの20倍ぐらいかと思う    中本の北極ぐらい
  セミホット      ココイチの10倍ぐらいかと思う
  マイルド         ちっとも辛くないよ~
2000年頃までのカーナピーナにはスペシャルホット/ベリーホットというハイパーウルトラ辛いmenuが存在した.これらはわたしには食えない.

一時期、この辛さランクがネットの一部で批判されたことがあった.時期は大まかに2000年ごろ、早稲田のB級グルメ探訪サークルじゃないかと推測しているのだが、彼らがカレーの有名店ということでカーナピーナを訪れた.それで彼らがサークルのサイトに書いたのは「これはインド料理ではない、インド料理には辛さランクなんて概念自体存在しない」という評価だった.しかもそのサイトがカーナピーナを検索したときにTOPに出てきてしまうのが1年間ぐらい続いたかな.恐らくカーナピーナのご主人はそれを気にしたのだろう、お店紹介が「インド料理」から「インド風」に変わってた時期があった.

【味の変遷】
わたしの知る限り35年間に渡って同じ味をkeepし続けている.
スペシャル/ベリーホットが消滅したのが目立ったところだ.
細かい点では、1990年代末期を境目にしたと思うがドレッシングが変わった.
以前はキューピーのフレンチドレッシングのような白いドレッシングだった.
現在ではカレーパウダーの入った黄色のドレッシングになっている.
ご飯の量が少なくなった件については後述する.

【オーナーご夫婦】
人の良いご夫婦が経営されている.ホール担当のバイトさんが居たこともあったが、ここ10年ぐらいはバイトは見ていない.ご夫婦は大阪出身だそうだ.

【店内雑誌】
カーナピーナの店内には新聞と雑誌が置かれている.わたしはこれにお世話になっているのだ.朝日新聞、Newton、Car&Driver、山と渓谷、CUT、が定番である.
カーナピーナ文庫のおかげでNewtonは欠かさず目を通せている.ありがたい.
Car&Driverはたまに読む程度.
山と渓谷は読まない.登山しないから.
CUTはたまにアニメ特集をやるのでチラ見するけど、編集がミーハーなので「チッ」と思って読むのをやめてしまう.
朝日?読まねぇよ.

【熱帯魚】
入口に置かれている水槽に熱帯魚がいる.プレコが10cm以上の巨体に育っている.

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年月順記載に戻る.

【バブル期、用賀店】
知っている人は少なかろうが、カーナピーナ用賀店があったのだ.
世田谷通りの上用賀6丁目交差点から環八までの左側のどこか、ストリートビューではキグナスのあるこの風景に近かった気がする.写真を撮っておけばよかったなぁ.
大学を卒業してから数年間のわたしは伊勢原市のソニーマグネスケールに勤めていた.クルマで都内へ遊びに行く際には東名高速の用賀で降りる.すると用賀にカーナピーナ2号店があるというGOODな仕組みになっていた.
ご主人が用賀店、奥さんが祐天寺店という分担でやってらっしゃった.
たぶん用賀店の経営はあまり良くなかったのだと思われ、数年で用賀店は閉じられた.

上の「味の変遷」のところで、ご飯の量が少なくなったと書いたが、用賀店でそれに関する思い出があるんだ.
まずかつてのご飯の量について説明すると、用賀店があった頃までのカーナピーナのライスはめちゃ大盛りだった.1.5合ぐらい盛ってたかしら.「まるでUFO!」と評する人がいたくらいだった.しかも1サイズのみで老若男女問わずそのUFOを食べる仕組みだったw.
当時のわたしは20歳代で食欲旺盛だったとはいえ、さすがにUFOは喰きれんといつも残してた.
そんなある日、帰り際にご主人が言った「今度からご飯少なめにしましょうか?」.
ご主人としてはライスのサイズについて再考してた時だったのかもしれない.
そして現在のライスはLサイズとMサイズの二択になっていて、Lサイズであっても決してUFOサイズではない量に落ち着いているのである.

導入年月は定かではないが、ヒラサカ仕様というものが存在する.わたしはキュウリを食えないので、いつも残していたら、わたしのサラダにはキュウリが入らないようにしてくれるようになった.うははーナイスすぎるー

【1996-1998年、疎遠】
転職して神戸に住んでいた.この期間はカーナピーナと疎遠な悲しい時期だった.

【1999年、ご近所に引越し】
勤務地が大崎になったのを機に中目黒に定住した.中目黒にしたのはカーナピーナのある祐天寺の隣駅だからだ.これでいつでもカーナピーナを食べれる.週に一度は食べるようになった.
正直なところを述べると、もしも祐天寺に住んでいたら2日に一度のペースでカーナピーナに通っていたのではないかと思われ、さすがにそれはハイペース過ぎるだろうと空恐ろしくなる.体を構成する分子の50%がカーナピーナで出来ている人間ってnew typeの覚醒をしてしまいそうだ.わたしは重力に縛られていたい.

【2000年代、育児とカーナピーナ】
その後子供が生まれ、子連れカーナピーナが始まる.もっとも幼児が食べるにはカーナピーナはハード過ぎるので、子供はご飯だけしか食べなかったが.
店が空いてたある日、ご主人がこれ食べれるかな?と子供用カーナピーナを出してくれたことがあった.マイルドにすりおろしたリンゴを追加して食べやすくしたカレーだった.それを食べた子供は「うん?う~ん」と微妙そうであまり食べなかった.

【2010年代、親子中毒カーナピーナ】
子供が小学校高学年のことだった、突然に、カーナピーナを食べたいと自分から言い出した.どんなスイッチが入ったのかは全く不明であるが、それ以来「週に一度はカーナピーナ」な体になっている.子供が食べる辛さランクはマイルドであるが.

【2014年、長期休み】
当ブログに書いたが、ご主人が風邪で体調を崩され、1ヶ月ぐらいお店が休みだったことがあった.  →こちら
この時は心配するやら、食べたいやらで家族一同でドキドキしていた.
カーナピーナのご夫婦はとても勤勉で、この出来事があるまでは、昼の12時開店~21時ラストオーダーまで連続営業していた.
ご主人の予後のこともあり、2014年以降は、1130-1430LOの昼営業と、1700-2130LOの夜営業になっている.

【カーナピーナよ永遠に】
このタイトルだとまるで閉店したかのようだがそうではない.
1977年に営業開始で今が2019年だから満41年間というか42年目なのだろう.
オーナーご夫婦の年齢を想像するに60歳代後半と思われる.
どうか末永く営業なさってください.
セカイでたった一つのKhanapinaを愛する Khanapina loversのために.

かしこ

2 件のコメント:

  1. 私も上京以来1984年から、カーナピーナ中毒者です。
    最近は、行けてないですが・・・たまたま、このブログを読んで、急に行きたくなりました!

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    1. 東京にお住まいなら、昔ながらの祐天寺ですのでよろしくお願いいたします.
      いまはお酒の提供はしてないですけど、営業はしています.
      月火定休日で、祝日に影響されずにやってます.
      あと、15時~17時は休憩時間になってます.

      それでは、もりもり食べて中毒復活!

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