2020年2月10日月曜日

老人ホームに幸福がある人

老人ホームというと姥捨て山のイメージがあるかと思う.

だが、毎日¥8000ぐらいのお金を支払って衣食住医の保証された生活を享受できる老人ホームというシステムはやり過ぎ福祉だとは思うものの、日本ならではの老人福祉の頂点ではなかろうか? 老人ホームをつぶさに見てそう思うようになった.

毒父を老人ホームに入れた件は繰り返し話題にしているので定期愛読者諸氏はご存じであろう.

実をいうと毒父だけではなく、義母も老人ホームに入所しているのである.

今回は義母の老人ホーム生活について前向きに描写しよう.義母は家にいるよりも老人ホームの方が幸福である、というハナシだ.

義母は一見すると正常に見えるかもしれないが、海馬が死んでいる.例えば、「明後日は病院だからね」というと、その後に続く会話はこうなるのだ.
 義母    「それはいつ行くの?」
 奥さん 「明後日」
 義母    「どこに行くの?」
 奥さん 「病院」
 義母    「いつ行くの?」
 奥さん 「明後日」
 義母    「どこへ行くの?」
以下無限ループ.会話にならん.時制を伴った会話が全く成立しないのだ.あげくには明後日だと言ってるのにその場で着替えを始める始末.

義母がまだ家にいた頃、、、ある時期を境に義母は、風呂に入らなくなってしまった.元々風呂嫌いだったようだが、寒いだの滑りそうだのと言い訳をして絶対に風呂に入らなくなってしまったのだった.
奥さんは「もう2か月お風呂に入ってないわ」「信じられない」などと言ってた.
「汚いからお願いだからお風呂に入ってよ」と奥さんが促しても、ごにょごにょと言い訳をして絶対に風呂に入らない義母であった.
風呂にすら入らないのだから、歯も磨いてないのは明らかであった.
そんな引き籠りよりも酷い状態になってしまった義母の生活は、寝ているか、TVを見ているかのどちらかだけ.買い物になんか行かないし、そもそも外出を全くしない.

奥さんはこのままだとヤバいわと、義母をデイサービスへ行かせた.デイサービスであれば入浴や歯磨きもするようになる.社会参加者として振る舞う事を強制される.

デイサービスでも老人ホームでも、時制を伴った会話は不要だ.つまり、明日の予定は....などという会話はしなくて済むのである.あるのは「お昼を食べましょう」「お風呂に入りましょう」「歯を磨きましょう」などといった現在のactionを促す会話だけだ.なので海馬が死んでいても差し支えないのである.

ところが家にいては、奥さんもわたしも義母に対して「歯を磨きましょう」などという低次元の誘導なんかしないからさ.だから義母は家にいる限り歯磨きなんかしないのだ.

家では屍同然だった義母は、奥さんの取り計らいによって清潔さといくらかの社会生活をデイサービスで得たのであった.

生活習慣の正常化だけでなく、義母をデイサービスに通わせて判ったことがあった.
デイサービススタッフ曰く、「義母さんはとても優秀で助かっている」のだそうだ.
会話にならんし風呂も歯磨きもしなくなっちまった奴のどこが優秀なのだ?というのが奥さんとわたしの戸惑いだった.なんのこっちゃという.
デイサービスの現場においては、促せば一人で何でもできる義母さんは優秀なのだそうだ.他の利用者は歩けないし一人で食べれないとかいろいろなのだろう.そいつらと比較すれば優秀かもしれないが、そんなのと比較されて優秀と褒められてもどうということはなかった.本性はめんどくさがりの引き籠りなのにデイサービスでは快活に振る舞っている外面の良さも奥さんとわたしには納得できなかった.

しかし週に7日間デイサービスに行くわけにもいかない.デイサービスの無い日はいつも引き籠っている義母であった.もちろん家では風呂に入らない.

「あれなら老人ホームで生活するのがベストなんじゃないかしら?」と考えた奥さんが義母に老人ホーム入る?と聞いたら意外な返答が、「うんそうする」だって.

デイサービスでちやほやされるのがよほど気分が良かったのだろう.

老人ホームに入所した義母は、毎日が規則正しく清潔で医療も行き届いた生活である.海馬が死んでいても老人ホームでは「義母さんは全く問題なく生活してらっしゃいます」と高評価だ.食事中は他の入所者とおしゃべりをするし、廊下で立ち話している姿もよく見かける.

2ヶ月も風呂に入らず引き籠っていた超不健康生活からは完全に脱却し、社会生活を取り戻した義母である.義母にとって老人ホームはパラダイスだと言えるだろう.

かしこ

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