2018年3月3日土曜日

わたしの長く続けている習慣について (鼻炎・アニメ・回路)

今年のスギ花粉症は突然来ました.こんな年は珍しい.一昨日、井戸掘りをやっていて暖かいと感じていたし、こういう温暖な日にはスギ花粉が飛ぶんだよなぁと予想はしていたけれど、まさかその日に鼻水と鼻づまりでアウトォォになってしまうほどの急激な飛散量に見舞われるとは.

堪らず昨日は、鼻炎のクスリと、目の充血を抑える目薬をもらいに、2箇所の医院を回りました.ちなみに鼻炎薬はアレジオンまたはそのジェネリックにお世話になっています.比較的眠くなりにくいので有り難い薬です.

思えばずいぶんと長い期間スギ花粉に悩まされてきました.アレルギー性鼻炎というと些細な病ですけど、わたしの人生に少なくない影響を与えています.そこら辺の経緯を記しておこうと思います.

お題は、「わたしの長く続けている習慣について」

【アレルギー性鼻炎】
それは長い長い物語です.
海老名市の相模大橋のたもとに住んでいたわたしの家族は、わたしが小学5年の時に伊勢原市の山奥へ引っ越しました.市街化調整区域のド田舎で、人の移動が自由な海老名市に比べて伊勢原の山奥の小中学校のクラスメートは変な奴らが多い変な地域でした.そんな変な土地ですから土地が安かったんでしょう.この引越しがその後の鼻炎などに関連するとは露ほども思わず...

高校生になった頃にはアレルギー性鼻炎を発症していました.当時はまだスギ花粉症という言葉は無かった気がします.季節性なので治療はせずに放置してました.

20歳代の中盤頃には鼻炎が慢性化しており、市販薬を飲んでいました.
28歳のとき、突然右耳が聞こえなくなってしまいました.突発性難聴疑いとの診断で東海大学病院に入院.しかし原因は突発性難聴ではなくて、内耳の破裂でした.喧嘩して鼓膜が破れたときに併発する事が多く、急激な気圧変化で内耳が破裂するケースがあるそうです.わたしの場合は、慢性化していた鼻炎が原因だったのではないかと思います.つまり、鼻づまり状態で鼻をかむと気圧で耳がツーンとする、あれです.毎日何回も異常な気圧が内耳に加わったために内耳破裂になったというstoryです.
鼻炎のせいで危うくツンボになるところでした.

この入院で分かったことがありました.東海大学病院に1ヶ月ぐらい入院していたのですが、その間には鼻炎症状が消えてしまったんです.伊勢原の家のハウスダストが慢性鼻炎の原因だと分かりました.具体的には、塗り壁材のカビが鼻炎の原因でした.後年のリフォームでこの壁材を除去して「鼻炎ハウス」を脱却しました.伊勢原なんかに引越ししたのが慢性鼻炎の原因で、そのせいで内耳破裂ですからまったく伊勢原という土地ではロクなことがありません.

伊勢原の呪いはこれで終わりじゃぁないんです.内耳破裂自体は手術で治りましたが、その後メニエル病に転化し、自然に治るまで10年ぐらいかかりました.でも聴力は衰えてしまいました.そのせいでオーディオマニアに必須の聴力も失われました.

まとめると伊勢原はわたしにこんな災いをもたらしました.
伊勢原に引越し(11歳) → 季節性鼻炎発症(16歳) → ハウスダストによる慢性鼻炎(20歳代) → 内耳破裂(28歳) → メニエルで聴力低下 → めまいは治った(40歳頃) → 聴力低下の後遺症 → オーディオマニアとしては廃人

結論: 伊勢原が悪い、関わるとロクなことがない伊勢原市


【アニメ】
基本的に友達と遊ばない、家に閉じこもっているのが好きな性格は子供の頃から不変です.なので子供時代は小学校から帰るとテレビです.16時~ドラマ再放送、17時~アニメ再放送、19時ごろまでがアニメタイムでした.「放映されるアニメは欠かさず観るぜ」という子供でした.小学高学年の時に「宇宙戦艦ヤマト」が大ヒット.

「さらばヤマト」が中学1年.「ガンダム」本放送は中学2年だったはずですが、なぜか観ませんでした.中学2年では「未来少年コナン」から多大な影響を受けました.

高校入学すると16時に帰宅するのは困難であり再放送が観れずに困ってしまい、親にねだってVHSを導入.「放映されるアニメは欠かさず観るぜ」というスタンスを堅持しました.
VHSの再放送でガンダムを観たのは高校1年で、第一話を観てなるほどこれはスゴイと思いました.その頃以降のアニメ業界は「観る人だけが観るもの」から「あの手この手で万人に訴求するもの」へと変化し、今に至るヲタクビジネスが始まりました.

劇場版ナウシカは大学1年の時で、宮崎駿はカリオストロがピークだったなと思い、わたしはシラケてました.大学時代も「放映されるアニメは欠かさず観るぜ」というスタンスでした.アニメ研究会に所属し、アニメを制作しました.

ところが、、、就職して仕事やら遊びやらでなにかと多忙な20歳代になると、アニメにご無沙汰になってしまったんです.その結果1990年代のアニメはリアルタイムではあまり観ていないんです.TV版エバンゲリオンは本放送で観てません.

わたしが再びアニメを観るようになったのは子供が生まれた(2002年)のがきっかけでした.奥さんと交代で子供の面倒をみてなくちゃいけなくて、家でTVを観る機会が戻りました.ちょうどその頃スカパーが好調で我が家でも契約し、アニマックス等のアニメ再放送chで「失われた90年代」を取り戻すべく再びアニメを観まくるようになりました.エバ、パトレイバー、彼氏彼女の事情、などなどはスカパーで観たのです.
それ以来、UHF深夜放送アニメのチェックに余念なしな日々を過ごしています.

結論: 20歳代にいろんな趣味に浮気しても、落ち着くと子供時代の趣味に戻るものよ


【回路設計遊び】
小学5年に伊勢原に引っ越したのが回路設計で遊ぶようになったきっかけでした.
その前までは、プラモデルと模型工作が好きだったのですが、伊勢原にはホビーショップが在りません.それで模型工作を続けられなくなりました.仕方が無いのであまり遊んでいなかった「学研電子ブロック」を出して回路で遊ぶようになりました.それが回路設計遊びに興じるきっかけでした.

中学1年でアマチュア無線を始めたけど、他人と会話することに興味がないのであまり長続きはしませんでした.

高校時代はオーディオアンプや8bitマイコンを作って遊んでいました.アンプにはV-FETというパワーFETを使いました.

大学時代はFM-NEW7を買い、周辺機器を作ったりして遊びました.FIREFOXというゲームが楽しかった.

就職してビデオ回路の設計で遊びました.ヘリカルスキャンの記録再生系に興味をもって遊びました.記録再生系は物理とエレキの境界層なので面白いです.

 30-45歳ごろはデジタル信号処理を延々とやり続けて遊びました.LSIを設計しました.

45歳で会社を辞めて元のホビー回路設計者に戻りました.中華製の激安プリント基板を入手できるようになり楽しいです.様々な1chipマイコンが使いやすくなりました.

わたしが電子ブロックを入手した1974年から2018年までを俯瞰すると、増幅デバイスで遊ぶしかなかった1980年までと、マイコンが登場した1980年以後はエレキホビーの形は大きく変わりました.
トラ技の特集記事がマイコンになってしまったのにはとてつもない違和感を感じます.増幅デバイスとしてのトランジスタを味わい尽くすこともエレキホビーストのたしなみであると思うのですが.
フリーの回路シミュレータが登場したのはとても便利です.回路を作ってオシロで観測しなくてもいいなんて超便利です.

結論: しかしいまどき生業とするのならソフト屋の方がいいだろう

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オーディオ、オカルト、お酒、日曜大工、にも長く付き合っていますけどボチボチですな.

かしこ

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