2013年7月8日月曜日

ステレオサウンド社にて「言の葉の庭」を超高級ホームシアターで体験視聴

今回も「言の葉の庭」の記事でございます.最近これが多い.

プロローグ
大学以来の知り合いの伊澄(仮名)からのメールには、こんなことが書かれてました.「ブログを拝見したところでは『言の葉の庭』はツボにはまったようですね.当社で大画面+サラウンドで視聴してもらい、コメントを当社のホームページで紹介するという企画をやりたいんだけど、来ませんか?」     もちろん万難を排して参加させていただきます、と返答したわたしでした.

この視聴会の模様を記したステレオサウンド社のページはこちら↓.ついにわたしの顔写真が明るみに....
http://www.stereosound.co.jp/review/article/2013/07/09/22789.html

ステレオサウンドONLINEのTOPページはこちら↓.
http://www.stereosound.co.jp/

ステレオサウンド社とわたし
ステレオサウンド社というよりも、同社が発刊している雑誌『HiVi』との関係になるのですが、『HiVi』の編集長を長年勤めてきた伊澄は大学時代のSF&アニメ研究会の後輩で、当時からAV機器に造詣が深かった.ちなみに伊澄は「ハヤテのごとく」に登場する鷺ノ宮伊澄(右図)とは、その性別・性格・容姿・家柄ともに何ら関連性がないのは甚だ残念なことであります.
1980年代の終わり頃、ビデオマニアだったわたしがソニーの子会社に入社して、ソニーグループでありながら風変わりなことにVHSビデオの設計を担当し、高画質化するにはどうしたらいいか、なんてことを日々試行錯誤していた頃、AV雑誌というと『HiVi』『ビデオサロン』『無線と実験』などがありました.低域変換クロマ型アナログVTRの技術情報を記した本は存在せず、当時のわたしは『無線と実験』の技術解説記事なんかを貪るように読んでました.『無線と実験』『ビデオサロン』はテクノロジーオリエンテッドな雑誌であり、『HiVi』はコンテンツをどのように再生して楽しむか?という方向にfocusしていたように思います.
やがて、伊澄がステレオサウンドの社員になり、趣味(AV)が仕事(HiVi)か仕事が趣味かわからん状況な奴だなぁと思ってた頃、「HiViが選ぶベストAV機器」のグランプリにソニーの製品が選ばれて、ソニーのビデオ社内報にいきなり伊澄が登場したものだから、危うく鼻からカップ麺のエビを出しそうになったこともありましたわ.
1990年代に入ると、据え置き型ビデオという商品がもはやメインストリームではなくなり、テクノロジーオリエンテッドなAV雑誌というニーズは減退し、『HiVi』のようなコンテンツ再生系雑誌が主流になっていったようにわたしには見えていました.
そしていま、伊澄は同社のインターネットサイトの運営に尽力しています.当ホームぺージからもリンクを張っておこう.
2013年になって、初めて六本木のステレオサウンド社を訪問したら、六本木駅からヒルズを通過してすぐのオシャレなロケーションでしたな~、うらやまし   >  伊澄殿

『言の葉の庭』のホームシアター体験
『言の葉の庭』BDは、あの感動ラストのチャプターを200回は観ているし、全編通して数10回はすでに観ているわけで、画像も音声も、家での視聴環境におけるそれは全て頭に入っているといえるわたし.そんなわたしが視聴会でどんな体験を得たか?

ステレオサウンド社の1Fにある視聴室の床は約15畳、天井高が3mと高めの部屋で、120インチのスクリーンにビクターの4Kprojectorで投影するというなんだか見たこともないようなリッチな機材.audioはPioneerの近日発売のAVアンプと、ピアノブラックのELACの5.1chスピーカーシステム.ソースは市販のBD版「言の葉の庭」をpanasonicのBDで再生.こんな高価な機材を使っていったいどんなことになるのやら?

↓BDを4Kにアプコンして表示された映像は、BDに納められている情報を余すところ無く表示することのできる最上級の環境と思われ、endingの鳥の群れが飛ぶシーンを120inchの画面で鮮明に観れたのには感激でした.
しかしなんといっても衝撃的な体験はaudioでした.
↓タカオが新宿御苑を散策するシーンでビックリしたのは、タカオのコンビニ傘にあたる雨音、そして新宿の雑踏の幅広いスペクトラムの臨場感でした.自宅TVのプアな再生環境とは全く異次元の体験だといえます.このBDは全般に、シーン毎にここまでやるか?っていうぐらい環境音が細かく録音されていました.一歩一歩の足音、タカオがするデッサンの鉛筆の擦れる音、、、、などなど、、、
↓『言の葉の庭』BDを何度も観た者として、もっともうれしかった発見は、ユキノお手製弁当の卵焼きをタカオが奪って食べたシーンで、メイキングによるとあの卵焼きには卵の殻も入っていたのです.この視聴会で初めて、タカオが卵の殻を噛んだ「ガリガリッ」という音を聴取できました.あとで家のヘッドホンで大音量で聴いてようやく「ガリガリッ」を聴けました.
↓BGMのピアノ曲については、5.1chサラウンドとELACのスピーカーの表現力は凄まじく、ユキノとタカオの不安心理を表現する不協和音気味な曲調のピアノが空間全体に満ち、怖さすら感ずる迫真力.ハリウッド映画の予告でよく出くわす重低音でドキッとさせられる演出とは違った、音楽・音場による精神攻撃性には、こんなシステムがあるのかーと舌を巻きました.
↓感動のラストシーン、控えめの音量で聴く自宅のTVから聞こえてくるよりも、花澤さんの声(息)の演技がよ~く聞こえます.遠雷のような低音をBGMが含んでいることも知りました.あのラストは、映像と声優とBGMが見事にキマッた相乗効果なシーンなので、音の細密さがアップした視聴環境で観ると感動のボルテージははるかに高かったです.超満足.
帰りの日比谷線の車中で、ステレオサウンド社にある総額何100万円もするシステムとまではいかんまでも、せめてTVのスピーカーを脱して、自宅に何かサラウンドシステム環境を導入せねばなるまいと、黙考したわたしでした.

家での視聴
ステレオサウンド社で感じたことを追確認するために、自宅でチェックしてみましたが、音量を絞ったTVのスピーカーではもとよりダメ、ヘッドホンで大音量で聴いてもダメ、やはり音から得られる情報量は足元にも及びません.視聴会で感じた迫真力を家でも好きなときに味わいたいです.

サラウンドシステムの導入?
サラウンドシステムはいまから20年ぐらい前にレーザーディスクと組み合わせて使ってみたことがありましたが、当時のインターフェースはアナログのピンコードでした.現在のサラウンドのインターフェースはHDMIなのだろうか?とそんなところから調査開始.

仮にリビングにサラウンドシステムを導入したって、子供がPCでyoutubeを観ている脇で落ち着いて視聴なんかできっこないし、奥さんからは「コードが散らかるのが嫌」と文句を言われるのがオチってもんで、リビングへのサラウンドシステム導入は我が家の場合はアリエナイ話って事になってます.
↓AVルームとしてはいささか狭いが、空いてる2Fの4.5畳の部屋を利用しちゃおうかなぁ?
こちらの部屋→  http://hirasaka001.blogspot.jp/2013/02/blog-post_10.html
↓その部屋にチョコッと壁づけしてあるテレビは、sharpのBD付きテレビLC-32DX3. 720Pの似非HDなのは不満だがそこは今ある物を使うということでガマンしておく.取説によると、光デジタル音声に5.1chサラウンドが出力されるようになっているらしい.もしかして使えるかも...
↓そしてなんと、サクッとヤフオクでソニーのサラウンドアンプ+スピーカー HT-K215を¥3980+送料で落札しちゃったよ.2000年発売の古い機種で、イメージ写真にはトリニトロンが映ってる、ベガかなこれ? 懐かしい、何もかも皆懐かしい、、、     ハイエンドの頂点近傍の住人である伊澄にはコケにされてしまうかもしれないが、まずは入門ってことでどーかお許しを.
サラウンドシステムが届くのは数日後であろうから、後日当ページに導入記を追記しようと思います.新規投資額¥3980のシステムで、ステレオサウンド社の視聴室で聴いた数100万円の衝撃にどこまで近づけるものなのか???

というわけでサラウンドシステムに入門しちゃおうとしてるわたしです.そのきっかけを作ってくれたステレオサウンド社と伊澄には感謝せねばならんのだろうなぁ.(笑)

伊澄からのありがたい助言
衝撃の事実を告げられました.「言の葉の庭」に収録されているリニアPCM5.1chは光デジタル音声端子を通過できないそうで、上記目論見のサラウンドシステムではスペック不足でアウトォと宣告されました.あっけなく死亡.やっぱHDMIのAVアンプを買わなきゃダメだこりゃ.  (泣)

逃げちゃだめだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ

逃げずに続報はこちら


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38 件のコメント:

  1. 返信
    1. izm.カーナピーナ大会やりたいですな.

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  2. ソニーOB:佐藤2013年7月8日 22:15

    LDの時のサラウンドってAC3でしたっけ?
    今のAVアンプなんて7.1chなんてのもありますね。
    うちはSACDの5chはプレイヤーからピンでアンプにつないでいます。ただAC3対応ではないので地上波TVのサラウンドは対応できないのがつらいです。DTSでもいいので変換して出力してくれればいいのにと思います。

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    1. LDは何だったんでしょう?すでに忘れて久しいです.
      サラウンド規格は乱立しすぎでつらいですね.
      売る方もつらいんじゃないでしょうか?
      そして失敗するわたしのようなかわいそうな客がここにいます.
      最低なんでもdtsでinterfaceできるようにしてくれればいいのに、恨めしや~.

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  3. うちは未だにCDデッキと2A3のステレオアンプ、38ローレンジ、800Hzのネットワークと1インチドライバ、ハイレンジホーンです。

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    1. 真空管、ネットワーク、ホーン、いいかんじじゃないですか.

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    2. JBLですか?

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    3. いや、アルテックかな?
      どちらにしろ、良い機器をお持ちのようですね(´▽`*)

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    4. JBLです。上のFOSTEXはお飾りです。2wでがんがん鳴ります。
      http://www.aa.alpha-net.ne.jp/tapence/page/supika.html

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    5. JBLかっこいいです.むかし憧れていました.

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    6. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 20:47

      YAMAHA NS-1000Monitorが好きだったなぁ。

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    7. その上にはNS-2000とかNS-10000があるとかいうスピーカーですね

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    8. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 21:09

      NS2000はあるようですね。
      うちはONKYOのScepter 1001というのを使っています。

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  4. ようこそ。泥沼世界へ。一緒に沼地へ行きましょう。w
    2ch だけでも、なかなか行けますよ。

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    1. お久しぶりです.
      そういえばそういう状況の人がいたのを思い起こしました.
      ちなみにAV業界では、奥さんに文句を言われる状況のことを「ワイフバリア」と呼ぶそうです.ぐぁー

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  5. ソニーOB:佐藤2013年7月10日 19:38

    ドルビーサラウンドヘッドフォンってどうなんでしょうね。
    臨場感は得られるのかなぁ。
    昔はバイノーラル録音なんてありましたよね。持っている富田勲のレコードがそうでした。
    また、NHK-FMでは立体音響実験なんてやってましたよね。今では懐かしい思い出です。

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    1. ドルビーのッドホン規格は「ドルビープロロジックII」とかいうやつが有名どころかと思います.そのヘッドホンを持っているので、言の葉の庭で使いましたけど、ひら的には感動しませんでした.

      5.1chへのこだわりを持つ人が多い理由は、たぶんですけど、劇場も基本的に5.1chで上映していると思うので、劇場と同じ音場を得られるってことなのかと思っています.

      バイノーラルはクラッシックの音像マニアにはうれしいんでしょうか???

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    2. ソニーOB:佐藤2013年7月14日 22:29

      The Beatlesの初期のアルバムだとSimulated Stereoなんてのもあってf特と位相(R,Lで別々)をいじっているような音でした。そんな音にするぐらいならMONOでいいじゃんって思いました。
      特にアメリカ盤Simulated Stereoはさらにエコー処理しているのでかなり聞きづらいです。

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    3. ビートルズはステレオ録音には先端技術的に取り組んでいたそうですね.お金を一杯持ってただろうし.それでも難しかったのかなあと、現代人のわたしは冷たく思ってしまうんです.

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  6. バイノーラルには「Bs2b」と「Dolby」が有るようですが、私は Bs2b で それ以外は芋です。
    ヘッドホンしか使えない時に使っています。

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  7. ソニーOB:佐藤2013年7月14日 22:20

    公知の事実かどうかはわかりませんが、1980年代の後半に三菱のDIATONEの開発者を結構な人数をソニーは引き抜いたそうです。三菱はその後もDIATONEでそこそこのブランドイメージが残ってましたが、ソニーは今一つスピーカーのソニーって伸びなかったなぁ。
    あと、入社した頃にいろいろな部署の見学会が行われていてスピーカーの開発についても見学しましたよ。えっ、そんなこと許されるの?ってことありましたね。LSIの設計でもそうでした。

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    1. ソニーが中途採用をやめてしまって、超一流大学の大学院卒の方々ばかりになって、人材採用っていうのはそうじゃないんだけどなぁと思っていたのはどれだけいただろうか? 新卒を大切にして中途入社を少なくするというのは人事の方針でそうしていたと思われますが、あれも一種の利権というか、産学による一種の堕落だと思っていたわたしです.

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    2. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 0:00

      採用関係は知りませんでした。まだ蒸着やっていた頃にレコーディングメディアでLTO関連での中途募集をかけてましたね。どういう人材を希望しているんだかと思いました。
      結局応募した人はいたのかどうかわかりませんが新しく入った方はいませんでした。
      人事の方針と言うかもう人員が足りているのか余っているのかもわからなくなっていっていたような気がします。機能停止と言うかそれぞれの部署も今後の人員計画が立てられない、読めない状況だったのだと思いますね。ある意味中長期計画が絵に描いた餅状態になってしまい、その場しのぎになってしまっていた事からも人員計画なんて立てられない。

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    3. 余剰人員は多かったですね.とくにリーマンショック以後は社内募集すら凍結状態といえる状態でした.沈滞してたです.

      LTOは塗布にせよ蒸着にせよ、コンスーマビデオの次の世代で旺盛な需要を満たす命綱と何年間も位置づけられていました.AIT/DDS/DATもそうだったのですがLTOに負けました.LTOライセンサの米IBMはソニーよりも戦略的に優秀な会社でした.ソニーは内紛にも似た事業部同士の反目があり、ビジネス成果に結びつきにくい会社でした.media屋から見たセット事業部もそんな感じに見えてたのはないかと推測しますがいかがなものか? すでに終わった話ですがなー.

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    4. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 11:50

      FUJIは粉の開発から独自でやってましたし、BaFeの将来性を信じて作り上げていた経緯がありますね。ソニーは10年以上前に粉の開発はやめてしまいましてT社におんぶにだっこ状態でしたから。
      ただMPの限界とそのつなぎとしての役割はばつぐんのBaFeだと思いますが次のLTO7以降は見えているのかなぁ。リリーフとしては役割は果たすけど勝利投手にはなれないと思っています。そういう意味ではソニーも独自開発は出来なくなり、最終的にはFUJIからOEMとなるのでは?と思ったりします。だから品証の役割をもう少し拡大して他の開発的な要素は人とともになくすような気もします。
      昔からmedia屋からセットに対しては、セット様どのようにすればよろしいでしょうか?と言うスタンスだと思います。LTOも同じ。

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    5. ソニーで昔BaFeをやっていた岡崎さんなんかは古くからの知り合いでして、ずいぶん前に辞めちゃいましたけど、一部にはBaFe信者もいたようでしたね.わたしとしては、BaFeが蒸着(コバルト粒子)を凌駕するとは信じがたい現実です.
      BaFeの後はスパッタメディアを必要とする領域に近づいてしまい、その時点でテープメディアの開発はおしまいなのかと思うわたしです.
      すでに終わった話ですがなー.

      削除
    6. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 12:43

      岡崎さんですか。私もお世話になりました。ちょうど小径FDの開発でのメディア担当でして、その関係でPRMLに関しては野田さんや原さんともつながりがありました。
      その後、メディアの展望は無いと見切ったのか辞められましたね。今では横浜にある大学の先生ではなかったかと。
      蒸着も素性は良いのですが、あまり薄くなると厚み方向の酸素分布が一様で出来ないので熱揺らぎに対して弱くなってしまうし、Hcも取れないという状況が問題でした。その解決が短期間で出来なかった事が今に至った状況ですね。
      岡崎さんですが、サッカー日本代表元監督の岡田さんとふり二つです。

       調べました。岡崎さん。すごい転身です。
      http://www.hamayaku.jp/teacher/te_70.html

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    7. それはもしやF1プロジェクトでは? 野田さんはいまでも符号開発やってると思います.
      岡崎さんのページを見ると磁気記録の研究者みたいですけど、ありゃりゃいまでもそんなことやってるんでしたかなあ??? 日韓ワールドカップの当時はいろんなところで岡チャンと呼ばれてましたw

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    8. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 13:38

      >それはもしやF1プロジェクトでは?
      当たりです。

      大学って講師すら博士が必要という公募が多いのに、どうやってもぐりこんだのか不思議です。
      その前はHDD技術のコンサルタントのような事をやっていたとか。

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    9. やはりF1関係者でしたか.うまくいったらおもしろそうでしたが.

      横浜のその大学の創立者が知り合いで、医薬系学生にITソフト(excelとかですが)を教えてくれないかと言われてそれ以来働いているという流れでしたかな、たしか.HDDコンサルは、いまはやってないかもです.

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    10. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 18:18

      カード型のPMCIAで使えるように出来上がっていましたが、最終判断で商品化に至りませんでした。当時Click!なんかもあってBaFeで商品化という流れもあり、そういうものと競合できるかという問題もあったのだと思います。ただClick!も結局はBaFeも商品化されずにぽしゃってました。
      F1の前はHiFDの支援でした。商品開発の部署でしたので商品設計のお手伝い的な仕事でした。その流れもありF1の電磁変換特性の担当でやっていたわけです。
      メディアのいけいけどんどんはその頃くらいまでかな?あとは開発と言うよりは惰性の様な感じで面白味は減退して行ったような気がします。
      平坂さんもメディアの人で知り合いが多いでしょうからオーバーラップしている人は多いでしょうね。

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    11. 当時のmediaはお金持ちでしたから、いろんな開発に手出ししてましたね.いささかダボハゼめいた印象ではありましたけれど.HiFDはいわくつきのなんともスゴイ展開で幕引きとなりまして、関係者の皆さんにはご愁傷様でした.当時のHiFDは厚木2TECでやってたと記憶してますが、厚木にはしばしば出張されてましたか? 仙台から厚木への出張は遠くて大変だったと思います.
      すでに終わった話ですがなー.

      削除
    12. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 19:00

      HiFDは支援という感じでしたので厚木には行ったことがありませんでした。
      ただソニー栃木にはメディアを打ち抜いた後に乾燥させるのにメディア同士が引っ付いてしまうのを避ける作業を徹夜でやった事はありますよ。

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    13. ひえー、そんな血みどろなことをやるのですか、ひえー
      ともあれ厚木に行かずに済んだのはまずはラッキーでした.

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  8. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 20:01

    F1の時には当初中研(横浜藤塚)に通いましたよ。その後は御殿山の2号館に移りました。
    厚木はうまい時間に行くとシャトルバスに乗れるからそれほど苦にならなかったかな?帰りは自腹でロマンスカーでしたからね。
    J-pro(デジタルビデオ)の時は大崎のビデオ事業部専用のビル(なんていったかな?)です。当時そこからパナソニックも勢いがあって東京のパナのビルが見えてましたね。パナがプロ仕様のENG用デジタルビデオ(M3って言ったっけ?)が席捲しようとした頃です。
    この頃の磁気記録が一番楽しかったのだと思いますよ。
    PV事行って仙台に持ち帰るR/W系の回路基板の変更と調整して、たまにレシプロでのまだブロックノイズが出る画像を見せてもらって、メディアへのハッパ掛けられて。という感じでした。当時の部長の久保田幸雄さんも偉くなりましたね。

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    1. F1は藤塚でスタートでしたか.最初っから御殿山だったかと思ってました.
      J-proなつかしい.大崎のあのビルはなんだったか思い出せないですが、シャトルバスが裏路地を右に左に曲がりくねって行くところでした.磁気記録はメカが動きますから面白かったです.
      すでに終わった話ですがなー...

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    2. ソニーOB:佐藤2013年7月15日 20:38

      森尾御殿と呼ばれたビルですね。今はKOBELCOのビルだったかな?品川から大崎に向かう山手線に乗るといつも途中で”ここでおろしてくれれば近いのに”と思いつつ大崎に向かってました。
      Googleで見ると当時パナのショールームを兼ねていたビルは、今ではバンダイナムコビルになっているみたいですね。時代の流れを感じてしまいます。隆盛を誇っていたパナですらこれですから。

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    3. あの辺は山の手線が一番南側に張り出した微妙なとこです.
      大崎駅周辺もずいぶんと変わりましたわ、とおじいさんのようなことを口走ってみる、、、

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