2020年5月24日日曜日

毒父の状況について 第12次中間報告

わたしの毒父については何度も書いてきた.現状を一口で言えばボケて徘徊がひどくて手を焼いているというごくありふれた有様なのだが、わたしはボケる以前から毒父を嫌っていた.「そんなに世間が憎いのなら二度と生まれ変わって来るな」と評すべきクソ野郎だからだ.
社会を相手にする時には、碇シンジのごとき「回避性パーソナリティ障害」であった.しかし家庭内においては、アスカ・ラングレーのごとき「自己愛性パーソナリティ障害」であった.
どっちが本性なのかというと、自己愛・ナルシスト・少数派を気取っているくせに多数派になれない自分が大嫌い、承認欲求でパッツンパッツンに膨れ上がった小心者であった.

もちろん家族仲は悪かった.というかわたしが一方的に毒父を嫌っていただけだけど.毒父本人は上で述べた人格障害を表層心理では自覚してなかったし、母は知っていたけれど荒立てたくない一心で「貴方は最高に偉い人だわ」とアゲ続けて生きてきた.なので毒父はどうして息子から疎まれるのかが判らなかったようだ.

ボケる前の毒父に対して「お前なんかただのバカじゃん」と総攻撃することも出来たのだが、わたしは敢えてそうしなかった.それには理由がある「どうして嫌われるのか判らない」という不安心理を抱えさせたままで彷徨わせる方が毒父へ与えるダメージが大きいだろうと思ったからだ.また「お前のどういう点がバカなのか」を説明した結果毒父が解脱してしまったりしたらスゲー気持ち悪いしな.

毒父には魂を腐らせたまま死んでもらう.また、毒父が如何にクソなのかを親戚縁者に喋りまくるのもわたしの仕事だ.「ディスカウント毒父」これはわたしの神聖なる業務のひとつである.

-----
その毒父がボケて行方不明になるわ徘徊・物捨て等の奇行が激しくなり、母親が倒れたのをきっかけとして老人ホームへ入れた.

だが奇行があまりにも酷くて老人ホームから追放された.精神病院送りになった.精神病院入院初日の身体測定で暴れて備品を壊しまくってた.医者からは「ひどい症状だ」と言われた.

精神病院に入ったのが2月中旬で、それから3か月ほど経ち、そろそろ退院できるかなと精神病院が言い始めたのが5月中旬.毒父の容体は、大部屋で生活出来ているが、徘徊はするし他人の部屋のドアを開ける奇行は相変わらずだった.

しかし精神病院送りになったそもそもの原因は、老人ホームで他人の部屋を勝手に開ける奇行が原因なのだった.なので老人ホームは毒父の受け入れを拒否.

老人ホームには部屋代を支払い続けている.なぜなら、精神病院に死ぬまで居られるわけもないので、クスリで大人しくさせたら老人ホームへ戻るためだ.しかし奇行が収まらないので老人ホームへ戻ることもできない.

精神病院から伝わる雰囲気によると、徘徊・ドア開けを止めるクスリは存在しない.やるとすれば歩けなくするクスリならある.しかし暴力沙汰を起こしたわけでもないので歩けなくするクスリを使うのは厳しいかな.
わたしとしては「どんどんやってくれ」なのだが.病院の都合を忖度して自重.

さて困ったぞ.老人ホームは受け入れ拒否、精神病院は「そろそろ出て行け」状態になった.当然家族もあんなのは拒否.行先ないね.早く死ねばいいのに.

振り返ると、毒父の処遇についてのわたしの過ちは3つある.
1)手のつけようのない徘徊老人を人として扱ってしまった
2)初手の行先は老人ホームではなく精神病院であるべきだった
3)老人ホームの選択を誤った.正常人向けの開放スペース型老人ホームを選んでしまったのが失敗で、毒父に必要だったのは閉鎖・監禁型老人ホームだった

というわけで5月中旬、新たなる老人ホームの探索を開始した.
徘徊・奇行対応型老人ホームを見つけるのが目的である.二度と出てくるなよ.
老人ホーム斡旋業者があるので自分で探しはしない.
斡旋業者曰く、候補施設は在るんだけど、コロナのために見学禁止になっていてご案内のしようがないとのことだった.パンフレットだけで決めるのもなんだし.

とりあえず戒厳令の解除を待ち、6月になって施設の防御態勢が緩むのを待とうかね、というのが斡旋業者とわたしの状況である.

二度と出てくるな.そして二度と生まれ変わってくるな.

毒父滅失

0 件のコメント:

コメントを投稿