2022年6月7日火曜日

出井伸之ご逝去に寄せて

ソニーの出井伸之さんが亡くなりました.

出井さんの評価は散々だったけどわたしは別に嫌いじゃないです.わたしが嫌いなのは大賀です.

エレキが主役だった頃のソニー衰退についての評論を以前こちらに投稿しました.出井のせいじゃないよとわたしは言ってます.ソニーを「殺した」のは出井伸之であるか否か

現在ソニーは連結10兆円で利益1.2兆円の好成績をあげています.

そんなに復活するんならソニーを辞めなきゃ良かったか?
そんな後悔は微塵もありません.
今のソニーは理系の会社じゃないもん.今のソニーは文系の会社です.文系ならダメだと言うのではありません.文系の会社にはヒラサカは用が無いということです.

現在のソニーを形成したリストラは何だったのか? 答えはシンプルです.
・赤字の集合体であるエレキビジネスを叩き切る
・金融とメディアのコングロマリットにする

これを成し遂げたのは出井伸之だったのか?  →違います
後継のストリンガーだったのか?  →違います
その後継の平井だったのか?  →違います
さらに後継の吉田だったのか?  →結果論にすぎません

答えはリーマンショックのおかげです.

出井伸之が去った後、ストリンガーの頃、リーマンショックでソニーのエレキビジネスのcash flowは崩壊しました.(トリニトロンショックはリーマンショックよりも数年前)
それで2009年から激烈なエレキ潰しが実行されました.
たぶんですけど、エレキ潰しの果てに現在のような金融メディアコングロマリットとしての未来を描いていた上層部は居なかったと思います.ただエレキ潰しをやらないと死ぬとの危機感でエレキ潰しをやってただけ.
平井が社長をやってた頃には、エレキを叩き切った先に見える金融メディアコングロマリットという目標が明確に見えていたのかもしれません.

そして平井の後の社長が現在の吉田で、この人って管理屋のはずです.「なるほどね、次は管理屋かぁ」と思ったものです.
平井→吉田に代わるころにはもうエレキの復活はあり得ないところまで行ってたし、いうこと聞かない事業部長もすっかり消えただろうし、経営合理化に邁進する人(管理屋)が社長になるのは良いことかもしれないなというのが「なるほどね」の理由でした.
ひら的にはエレキを叩き潰すのには反対だったけど、エレキビジネスに無駄や下手な合理化がたくさんあった点については承知していました.

吉田に代わって5年ぐらい経ちますかね? まさか利益1.2兆も出すようになるとは思ってなかった.(文系の会社としてですが)

わたしはなりふり構わぬエレキ潰しを見て、ソニーに自分の居場所はもう無いと悟り2010年末に早期退職しました.リーマンショック後のソニーは本当に酷いものでした.

来月辺りに出井伸之をアゲる記事が経済誌を飾るでしょうけど、現在のようなソニーの隆盛と結びつける提灯記事にはわたしは賛同しません.出井も大リストラをやろうとしたけれど、出井社長の頃はそれを断行するチャンスではなかったし、方便としてのEVAも良い結果をもたらしはしなかったと思います.


出井伸之には個人的感謝もあります.
御本人には全く関係ないのですが、それでも一方的に感謝はさせていただきます.
出井は別に嫌いじゃないけど大賀は嫌いという件に関係します.
先日これを投稿しました.
これの中で、やたらとamwayが流行したと書きましたが、それに大賀が一枚噛んでいる.
ソニーマグネスケールの上層部はソニーの上がりのポストでした.そこへ大賀の親戚(奥さんの兄弟とかそんな人)が来てやたら汚い圧政をしたんです.それで急激に社内が荒れたとヒラサカは見ていました.amwayだけじゃなくて、備品を盗むとか、おかしな休暇取得とかで依願退職に追い込まれる者が続出しました.
そういうのが嫌でわたしはソニー本社へ出向して逃げていました.しかし出向中のわたしへ大賀親戚から「そんなおかしな人事は許さんから早く帰ってこい」という圧力がかかる.ウザかったので出向をキャンセルしてソニーマグネスケールを辞めました.
一方その頃ソニー本社では大賀色が弱まって社内が出井色で染まりつつありました.
わたしがソニー本社に中途採用される際にも、ソニーマグネスケールから「平坂を採用するなど許さん」と文句が来てましたが、厚木の人事はその文句を無視してわたしを採用してくれたのでした.その人事は出井派閥だったのだと思います.ソニーマグネスケールにはいろいろと因縁があるんですね.てか伊勢原という土地の因縁が悪い.

かしこ

8 件のコメント:

  1. SONYの稼ぎ頭だったテレビ事業部が足を引っ張っていましたね。
    テレビは地デジを最後の花火として燃え上がり、そのあとはジリ貧になってしまいましたね。
    日本の職人技で設計、製造されたアナログ回路の頂点ともいえるテレビが、デジタル化されることで、メインチップとメモリ、チューナー(今はここも銀色の箱からチップ化されてしまいました。)とシンプルな構成で作れる(日本以外で簡単に作れる)ようになってしまいましたね。
    おっと、ブラウン管から液晶に切り替わる所で、プラズマや有機ELとか色々さ迷いましたが、結局は液晶に落ちついているのを忘れていました。
    ま、日本の液晶メーカが衰退した理由は製造装置は外部から入手していたので、日本で調整が終わったパラメータとかをそのまま使って海外で生産されたら、値段では勝てませんね。
    次のマイクロLEDを使ったテレビの開発やっているみたいですが、基本巨大化するだけなので、32インチで満足している自分には関係ない世界です。

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    1. トリニトロン死亡はリーマンショックの前で、トリニトロン死亡をソニーは乗り越えての2008年でした。リーマンショックでエレキは死にました。

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  2. SONYはトリニトロンで稼いでいたので、液晶への投資が遅れてしまったのが、躓きの始まりでしたね。
    遅れを取り戻すためにプラズマに手を出して、有機ELに手を出したのですが、うまくいきませんでしたね。
    一時期有機ELにはものすごく突っ込んでいたと思うのですが、
    結局は焼き付き対策ができなかったのでしょうか?
    (有機ELがぱっとしなくなった理由を知らないので・・・・。)

    Aiboとか、LPWAとかリモコンとかAIとか次の飯の種になりそうなのに金はぶち込んでいるみたいですので、火が消えている訳ではなさそうです。
    今稼いでいるハードはCMOSセンサーのカメラとこれから稼ぐかも知れないのがAIつかった自動運転でしょうか?
    Appleも何年かしたら自動運転車を出すといううわさですが、どうなるかはわからないですが、ちょっぴり楽しみです。

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    1. 撮像素子とPS5はありかもしれないけど、他はこれといったものはあまりなく...

      ソニーは液晶に投資する気は一貫して無かったと思います.なのでサムソンからパネルを買ってました.
      サムソンLCDパネルで食いつないでいる間に有機ELを立ち上げられればよかったけど、信頼性が悪いのと、真空プロセスだと価格競争力がないのとで主導権を握れず...

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  3. 「出井伸之」について、調べてたら、なぜか「茂木健一郎」が出てきたのですが、この人って
    「ソニーコンピュータサイエンス研究所」
    の人だったんですね・・・ 知りませんでした。
    ※テレビで名前はよく聞くけど、本業は知りませんでした。というか、調べても、やっぱり「何やってるのかわからない」人ですね・・・
    (クオリアの研究とか。あんなもん、どうやって研究するんだよ?)
    ・ソニーも、まだ、「こんな人を飼ってる」余裕があるんだなーと思いました。
    検索しても出てこないけど、伝説の「ESP研究所」の、生き残りなんでしょうか?

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    1. 茂木はそうなんですCSL。
      CSLって意外と潰されずに残りました。
      ちなみにエスパー研とは人脈的にカンケー無いんですね。

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  4. そういえば、ソニーの
    「パスポートサイズ」(のビデオカメラ)
    というのは、実は
    「ソニーグループ社員に配布される白いソニー手帳サイズ」
    という話を聞いたのですが、本当ですか?
    というか、その「白いソニー手帳」とは?

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    1. ありました白い手帳。たしか1年に一冊だったか。
      メールが普及しだした92年頃には配布やめちゃたような記憶デス。わたしは元々あんまり使ってなかった手帳でした。

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