2018年10月22日月曜日

いい感じの壊れ方、コロッセオの崩壊最前線

コロッセオを検索したら、中目黒のコロッセオというイタ飯屋ばかり出てきたのには苦笑した.

↓コロッセオの現物写真は多くはこんなのを見ることになろう.元からこういうデザインなのか、破損してこうなってしまったのか? 建築年代は西暦80年とされている.
↓崩壊してこうなってしまったのだと現物を見てわかった.建設当時の構造は石積みアーチの3重構造だったのだ.内側から赤青黄で着色してみた.
↓衛星写真に着色するとこんな感じの3重構造だが、360度残存しているのは最内周の赤だけで、青と黄は180度分が崩壊して失われている.
↓崩壊の最前線がどうなっているのかというと、こんな状況だ.なんともいい感じだとは思わないだろうか? 崩壊寸前を補修で食い止めているのがわかる.ちなみに、アーチの柱スパン6m、柱サイズ2x2mぐらいだった.

↓ひら的には元々不思議だったのだ.アーチ型の石積みは荷重を左右に逃がす原理ゆえ、コロッセオの断ち切り部分をどうやって支えているのだろうかと.そしたら何のことは無い、断ち切り部分は崩壊最前線だったのだね.
↓これなんぞは、メイン柱に帯筋を追加して崩壊を防いでいる箇所だ.イイ味だ.

ここまではアーチ型石積みの崩壊最前線を見てきたのだが、もう一つの崩壊軸がある.車輪のスポーク方向だ.スポーク方向の構造は全く異なるゆえ、崩壊状況が異なる.

↓まずはコロッセオの内部状況を把握しよう.外部から4階建てに見える通り、各階の外周は廊下になっている.動物の檻が1階で、闘技場は1.5階、観客席は2~4階と思う.
この写真を注意深く見ると、2~4階にかけて屋根がついているところと、無いところがある.
↓一部を拡大すると、屋根の無いところは屋根が崩壊してしまった部分なのだ.そして屋根が残った部分は、2階の屋根であると同時に、3階からアクセスできる「アルプススタンド」だったようなのだ.今ではセメントで補修されてただの斜面になってしまっているがね.
↓元はアルプススタンドだったろうと思った理由が、屋根の断面の上端を撮ったこの写真.ちょうど階段ピッチぐらいの寸法でレンガ板が入っているように見える.

スポーク方向は屋根であり、屋根は崩壊しまくっているとわかったところで、構造はどうなっているのか? ひら的にはこの事もコロッセオの謎の一つで、現地で知りたかった一つだった.

↓わかりやすいかと思う場所を撮影したのがこの写真である.石積みアーチが見えているのは円周方向で、崩壊した屋根の傾面がスポーク方向である.スポーク方向には石積みアーチは存在しないのだとわかった.
それならば何らかの梁材を使っているのかというと、そうじゃないんだなぁ.
その答えは、セメントだった!
↓この写真は、石積み柱の上で崩壊せずに残っていたセメント製のアーチである.表面はレンガだが、内部はセメントだ.コロッセオの屋根は、厚さ1mほどのセメント製だったようだ.セメントは石材より弱いので、たかが屋根であってもドカドカ崩壊してしまったのだろう.
↓ローマ建築はセメントを活用していたとは知っていたが、想像以上にふんだんにセメントを使っている.この写真はコロッセオの壁の断面である.石+セメント+表面はレンガという複合材だ.
↓この場所などは、レンガの上に50mmぐらいセメントを塗り、さらに漆喰で仕上げていた痕跡が見られる.

いやはや、コロッセオはすごい建築物だとしか表現のしようがない.2000年経っても残る建築物にはこのようなオーバースペックが必要だったのだろう.姫路城は負けたよ.

ところで、コロッセオのオーバースペックさはローマ建築に普遍的なのかというと、それが全然そうじゃないんだよ.
コロッセオだけがやけに頑丈なのだった.
この後に見学したフォロロマーノでそれを知ることとなる.

フォロロマーノには石積みアーチがほとんど存在しない.石+レンガ+セメントの複合材ばかりであった.それが経済的だったのだろう.それゆえ多くが崩壊してしまっていた.コロッセオの屋根のように.

ローマ建築は聞きしに勝る偉大なものだった.
だが、ローマ建築が悲しくも欠いたのは、優れた梁材を発明できなかったことだろう.
もっとも、曲げ応力に耐える素材は、製鉄技術の登場を待つしかなかったのだが.

かしこ

2 件のコメント:

  1. 自分が昔見に行った時には石作りってすげー長持ちするなくらいしか思いませんでした。この記事は超楽しかったです。
    イタリア人が蛮族に負けずに国を保って、ちゃんとメンテナンスしてたら今でも現役で使えてたかもしれないですね~。

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    1. なにせわたくし、本業が建物診断ですから.(うそー)

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