2018年10月5日金曜日

山口県萩市の感想文 (すこし批判的でごめんなさい)

岐阜県は下呂温泉から帰宅しました.お酒をたくさん飲みました.遊びじゃないよ仕事だよ.

9月30日夜の台風24号では、関東ではJR全線運休というまさかの劇薬が発動されたようで、遠方の下呂から東京しね神奈川しね湘南しねとギャハギャハ笑ってました.優秀な防災訓練になったでしょう.
下呂の天候はどうだったかというと、高山線は当然のごとく運休でしたが、風雨はそんなでもなかったです.午前0時ごろが風雨のピークで、飲み屋からホテルへの帰り道に傘をさして歩ける程度.「言うほどじゃねぇや」とギャハギャハ笑ってました.

この先1ヶ月ぐらいは現地調査業務が無い見込みなのでブログの更新を通常モードに戻せる予定です.

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下呂温泉から戻っところで、なぜか山口県萩市の感想を書きます.微妙な街でした.

萩には8月23~25日まで滞在しました.

【交通不便】
わたしは飛行機で山口宇部空港へ降りました.新幹線であれば新山口で下車します.いずれにせよ瀬戸内海側から山口県に入国することになるでしょう.

空港から萩までどう行ったらいいか?

乗り合いタクシーが良いと聞いてたんだけど、ハイエースみたいなクルマに知らないオッサンと一緒に一時間強乗るのなんかゴメンなので、乗り合いタクシーだけはやめとこうと思い、電車やバスダイヤを検索したの.

まず第一希望の電車で萩へ向かうには3~5時間もかかります.路線は①左から行くか ②右から行くかですが、電車が1時間に一本程度しか走ってないため、途中駅の接続が悪いと5時間もかかってしまう.接続が良くても3時間はどうかと思います.直線距離は100kmぐらいなんですから.

バス+電車で移動すると接続の悪さは解消されますが、それでも3時間ぐらいかかります.

気が進まない乗り合いタクシーだと経路③で約1時間で萩まで行けます.仕方が無いので乗り合いタクシーを利用しました.

乗り合いタクシーを利用するのは初めてでした.
どうして高速バスが存在しないの?という大疑問はすぐに解消しました.要するにバス路線が成立しないくらい利用客が少ないからなんです.山口宇部空港への到着便に合わせて乗り合いタクシーが日に6便ぐらい出ます.わたしが利用した便の乗客は3人でした.たぶんいつでもそんなもんなんでしょう.また、乗り合いタクシーは前日までに予約が必要なのが不便です.

遠方からの旅行客にとってはとても交通不便な萩市でした.

【市街地が中州】
2つの川に挟まれた中州が萩の市街地です.江戸時代に萩城と城下町と寺社が分布していたエリアが現在でも行政と商業の中心地になっていると思われます.

【駅が中心地を避けている】
萩市内の移動手段は巡回バスが便利です.電車はいまいち使えません.

上の地図には山陰本線の駅が3つ見えていますが、なぜか中州を避けるように線路が引かれているじゃありませんか? どうしてこんな不便な都市計画にしたんだろと不思議でなりません.わたしだったら、玉江駅と東萩駅を直線で結んで、萩市役所のまん前に萩駅を作りますがな.

萩駅が開通したのは大正時代です.城下町に鉄道なんて無粋なものを通すわけにはいかんとかなんとか反対する地主がいたのではないかな.大正時代の事とはいえ末代まで祟る失敗都市計画だったでしょう.こりゃひでぇwww

【観光資源】
萩には吉田松陰が開いた松下村塾が在り、そこに集った生徒達が明治維新で活躍したという流れゆえ、明治維新発祥の地というのを観光資源として売り出しています.2018年は明治維新150周年だそうです.
萩城下町が保存された区域があります.高杉晋作生誕地などがそこにありました.
明治維新の観光地は丸一日あれば回れると思います.
萩焼は有名です.でもわたしは陶器に興味がないのでスルーしました.
←松下村塾

【伏せられた飲食街】
明治維新ネタは観光案内パンフレットでたくさん紹介されています.昼間は観光地巡りでよいのですが、夜になれば「酒はどこだぁ~」になります.
すすきの、国分町、歌舞伎町、、、そこまで大規模な歓楽街は無いでしょうけど、萩は歴史の古い町ですから先斗町みたいな飲食ストリートの一つや二つぐらいあるにちがいない.そう思って観光案内を見ても飲食街が書かれてないんですよ.
↓う~む、、、こういうときはgoogle検索です.「萩市 スナック」で検索すると、スナックが固まってるエリアが表示されるじゃん.

そのスナック集合地帯へ行きましたら、ネオンの灯りが誘蛾灯のごとく男性のリビドーを刺激するストリートがあるんです.風俗店がある感じはしませんでしたが.
憶測ですが、萩市の観光振興はこういった色街系の存在を無き物にしたいんでしょう.インポ文教役人がやりそうなことです.つまんねぇの.

だいたいですね、伊藤博文はすごい芸者遊び好きで、明治天皇から「伊藤君、少し芸者遊びを控えたらどうかね?」と言われて、「わたしはプロと遊んでいるのですから問題ないのです」と答えたという非常に面白いオッサンだったそうです.
伊藤の故事を引用して萩のスナック集合地帯を「伊藤博文通り」と命名し、萩には伊藤が好きだった夜遊びもあるのです、と売り出したらいいじゃない.そうすれば天国の伊藤博文さんもお喜びになるでしょうよ.


萩で思ったのはこんなところでした.謎の都市計画と、謎の観光振興でなんだかなぁと思っちゃった.

伊藤博文通りにある某スナックにて、ママさんと乾杯!

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