2018年10月15日月曜日

PTAの「周年行事」について

うちの子供が通っていた公立小学校でも公立中学校でも、110周年だったか10周年だったかもう忘れましたが「周年行事」がありました.わたしはカンケーないけど、部活動好きな奥さんは周年実行委員みたいなのをやってましたからどんなもんなのかはだいたい承知しています.

こんな記事があり、そーなんだよ、かったるいわ、周年なんかやめてしまえと思う者のひとりです、わたしも.

わたし自身、サラリーマン時代には全く知る由も無かった「地域社会」というパラレルワールドが日本全国津々浦々にあります.町内会と関わるようになって知りました.

地域社会をわたしなりに定義すると、、、
・地域社会参加者は3分類できて、
   行政系:市区町村役所、与党系政治家、消防署、警察署、学校
   顔役系:町内会、神社、寺、社会活動団体、元PTA会長、元民生支部長
   パシリ:PTA、民生委員、青少年委員
・行政は、行政活動の円滑化のため、顔役に日々アタマを下げておく必要がある(そぶりだけでも)
・行政が顔役に名誉を授けるために、様々な行事に顔役を招待する.顔役はうやうやしく名前を呼ばれ、ときにはスピーチを頼まれる
・パシリは(ほぼ)無給のボランティアで、行政にコキ使われる不憫な人々
・パシリは最下層民なのだが、PTA会長などを歴任した人は、顔役系に昇格させてもらえる(終身的に行事に招待される)

上で引用した記事の中に、周年行事を縮小すると決めたら顔役から横槍が入ったというくだりがありますが、その顔役は上辺だけであろうとも名誉が欲しくてたまらん奴なのでしょう.

周年行事の位置づけをまとめると、
まず行政が顔役をヨイショする目的に端を発し、しかしながら行政(この場合は学校職員)には周年行事を執行するマンパワーがないので、パシリとしてPTAが酷使される、という図式なのです.
実を言うと無いのはマンパワーだけじゃなくて、学校には周年行事資金もありません.資金捻出もPTAの仕事なのです.PTAがバザーを開催し、その収益を学校に寄付するんです.涙ぐましい尽力です.パシリご苦労!

校長先生の決断で周年行事をやめることはできます.でもやめないのはなぜか?
小中学校長っていうのは、運動会が騒音だ、通学の子供がうるさい、通学の子供が自動車の往来を遮っている、などというクレーム処理係でもあるわけなんで、地域の顔役が味方についているというのは心細さを緩和するクスリになるんでしょう.
官官接待の側面については、校長先生が「もうやめます」とハナシを通せば役人達から文句は出ないと思います.余計な仕事が減ってラッキーってなもんかと.ただし、そういうスタンドプレーをすると校長先生同士で評判が落ちるんじゃね?

そうゆう本音を隠して「周年行事は大切です」とトボケればPTAが嫌々やってくれるんですから、誰もやめるわけないです.

エイメン

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