2022年12月11日日曜日

祝、トランジスタ技術 創刊700号(3)付録の創刊号を見る1

わたしがご生誕される3か月前に産声を上げた「トランジスタ技術」は58年を経て700号だそうです.

付録の「創刊号復刻版」が面白い.つっこみどころ満載です.

創刊号の表紙は、MURATAの部品なんです.
真空管時代の高電圧小電流回路であればコンデンサが果たす役割は小さかった.
それが半導体が主役になると、低電圧大電流回路ですから電源電圧がブレブレになりやすい.そこでコンデンサによる電源平滑が重要になります.
平滑コンといえば積層セラミックコン、積セラといえばMURATAですから、トラ技創刊号の表紙がMURATAだったというのは、偶然ですが象徴的だったと思います.

↓表紙裏にはSHARPの巨大な電卓.53万円、きゃーっ! 年収?
しかし見るだにどういうinterfaceなのかがわからん.四則演算しかできなさそうだし.
↓トランジスタ随想と称して各界の名士による稿があります.吉田義男って後に、バースとか掛布とかが居た頃の阪神の監督じゃね? 「観客席でラジオで実況を聴きながら野球観戦している人が増えた」とか書いてます.
↓ネジ屋の西川って、アキバのKFCの近くでまだ商売やってるよね.
↓ALPSって元は片岡電気だったんですか? バリコンとか、ロータリSWとか.
↓そして、ラジオデパートの広告だ.ブラウン管も売ってたの?
↓初期のTRの断面.合金型というやつだと思います.ゲルマの上下にインジウムの玉を乗せて焼くという製法.見るだに歩留まり悪そうで貧血になりそうだわ.
↓SONYのTR広告.
1964年当時のTR価格はこんなかんじ.めちゃ高価.GeTRの方が安かったんですね.
 ゲルマニウムTR 小信号 @数100円    Tj75℃とかよぇ~っ!
 シリコンTR   小信号 @1600~3000円 Tj150℃で安心
 シリコンTR   パワー @1500~13500円
↓最初の特集はTRの歴史です.ソニーの人が書いてる.
↓「トランジスタ問答」というTRの使い方記事があります.
実態配線図が判りにくいのと「ラジオの製作」っぽくね? トラ技じゃないみたい.

この当時って、回路の未来が開けているみたいで楽しそうでいいなぁ.製造も市場も日本ローカルで、設計者は無茶やってて、物理デバイスの使いこなしがコアテクで、なんか良い時代です.この当時のわたしは0歳児でしたが(笑)

創刊号はまだまだ続きます.

あでゅ~

10 件のコメント:

  1. 1960年代のTVは買うだけではなく、キットが売られていたはずです。
    どうやって調整とかしたのかわかりませんが、昔の人は偉かったとしか思えません。
    1976年(12年後)にはTK-80が発売されているので、この頃の技術の進歩スピードは恐ろしいと感じます。

    返信削除
    返信
    1. なんとTV KITとは恐れ入ります.白黒TVならなんとかってとこでしょうか.

      トラ技創刊号の回路図にあるTRはほとんどゲルマニウムみたいなんです.それがシリコンLSIになるまでに10年とはヤバいですね.

      削除
    2. 津久井街道で2022年12月12日 18:29

      SHARPの巨大な電卓
      これの実物(たぶん)を見たことがあります。ニキシー管表示で,数字が前後するのが面白かったのですが,すご~く奥まで数字の位置が変化していたような気がする。あいまいな記憶。小学生だったからなあ。

      削除
    3. えーどこで!???
      宿題やるために電卓欲しかったです。
      「ボタン戦争は終わりました」というコピーをTVでやってました。

      ニキシー管は奥行きのあるデバイスでした。ずっと後になって、2000年頃にシュタインズ・ゲートというアニメで少し有名になりました。

      削除
    4. 津久井街道で2022年12月12日 20:20

      父の勤務してた税務署でですよ。
      休日出勤した父に連れられていったら,職場のおじさんが使ってました。道を踏み外してエンジニアになってしまったきっかけだったかも。ニキシー管のばかあ!と言ってやりたい。

      削除
    5. 算盤で計算してたのかと思いきや、こんなものを導入していたとは恐るべし、税務署.

      うちの家業も公務員でしたが公務員は退屈そうなのでわたしはやめときましたー

      削除
  2. ちょっと気になってタイガー計算機はいつまで作っていたのか調べたらなんと1974年に製造中止なんですね。
    という事は1964はまだ現役だったのか?(@o@;
    TVのキットはTVの修理技術を習得するために販売していたようです。
    経理からそろばんが消えたのはいつごろなんでしょうか?

    返信削除
    返信
    1. 1974まで作ってたとは、1964年の電卓よりも機械式計算機の方がコスパよしだったのが透けて見えますね.

      わたしが小学生の頃にはまだそろばん塾が在ったくらいですから、70年代は算盤使いの経理マンが余裕で棲息してたんじゃないですかね?

      アンティキティラ島の機械という、ギリシャ時代の計算機もありました.

      削除
    2. LTspiceの開始画面の絵ですよね。spiceで設計できる計算機といえば,アナログコンピュータ。弾道計算機のシミュレーションデッキを作ろうと思い立ったことがありましたが,どこに向かっているのかわからなくなって,,,

      削除
    3. ぎょっと思ってLTSPICE画面をかくにんしました。
      アンティキティラでした。
      今まで気づかなかったとわ、ぎゃふん。

      削除