新海誠はアタマはイイです.論理を持って作品を作る人です.
そう書くと他の監督さんは論理無しで作っているかに読めてしまいますが、そういう意味では無くて、口頭にせよ文書にせよ「このシーンはこれこれの意味で作りました」とちゃんとoutputできる人です.多弁であるともいえる.ノベライズも自分で書いてるんじゃないかな.新海が企画書を劇場特典で配布したのは恥行為だったと思いますが、それを止められないほど多弁なのでしょう.
そんな新海ですから、なんの気なしに作ってあらすじ映画がデキちゃうような無能ではなくて、確信をもってあらすじ映画にしたと考えます.
ならばどうして「すずめ」をあらすじ映画にしちゃったのか?
ひら予想では、新海は黒歴史「星を追う子ども」の轍を踏まないように慎重に構想した結果、あらすじ映画を作ったのだと思います.
実をいうと、わたしが新海作品で最後まで観てないのは「星を追う子ども」だけです.あまりにも酷くて冒頭15分ぐらいで放棄しました.アガルタという地下人類がどーのこーのという設定を、研究者のおじさんが説明します.この説明セリフが違和感たっぷりで「ダメだー」と再生をstopしてしまいました.
変わり者が多いNET界隈でも、「星を追う子ども」を褒める人を見た事がありません.いま「星を追う子ども」のwikiを見たら、興行収入2,000万円と書かれています.そこまで寒かったのか!? あまりにも酷評だったので新海は寝込んでしまったとも云われます.
「すずめ」を観るにあたって、わたしの着眼は「星を追う子ども」の失敗をどう克服するのだろうか?でした.というか彼がメジャー作品を作る度に、「星を追う子ども」になってしまわないかとヒヤヒヤしています.
「星....」の克服とは具体的にはこういうことです.
1)複雑な設定を消化できなかった反省
2)どっかで見たよな既視感、とくにジブリ臭
「すずめ」は1と2を克服できていました.
クドクドと説明セリフが続くような事は無ありませんでした.冒頭の宮崎で発生したミミズを防いだ過程で設定を問題なく説明できていたので、そこは合格でした.災いを封印するお仕事という設定も単純で無理なくOKでした.
ジブリ臭もまぁ許すってくらいでしたかね.
男性キャラからジブリ臭は漂っていましたけど、今の日本のアニメ制作で、端正なキャラをあまりデフォルメせずに動かすとジブリっぽくなってしまうのは仕方ないかなと思います.
絶対にジブリ臭がしないように作るとしたらTRIGGERの作風にするっきゃないかもしんないし.
しかし、12を克服はしたけれど、別の問題が生じてしまいました.
3)まーた天災かよ
4)あらすじ映画になっちゃった
5)男女関係の目線の差
新海のメジャー3部作は、隕石→異常気象→地震 と天災クライマックスを採用しています.
天災クライマックスは「星を追う子ども」の反省に立って、鉄板の仕掛けをセットするのが目的じゃないかな? だとしたら「あざとい」という問題に直面すると思うけど.
「すずめ」で首都圏震災を食い止める場面は、1000万人を人質にとった感動ポルノだったから、全然褒められたもんじゃないです.あざとさしか残りませんでした.失敗です.
新海の長編作品と短編作品では描いているものが全然違っていて、長編ではアピールし易い最大公約数で災害を採用しています.短編では、心の内面の小さな部分に優しく触れるのが制作動機になっています.新海の長編は良くて凡庸、悪くてあざとい、短編は新海ならではの優秀作になれてます.
新海に映画の神様への信仰心が少しでも在るなら長編はいい加減にもうやめた方がいい.ビジネスの神を信仰するなら長編をどんどん作ればいい.でもそれは映画の神の逆鱗に触れるだろうさ.
4番目のあらすじ映画の件について.
「君の名」を観ての最大の感想は、「投資家のご期待に応えるべく自分を殺すのを厭わない賢い奴だな」でした.短編作品でこだわり続けた内面描写じゃメジャー作品になれないし、「星を追う子ども」の二の舞は避けなくちゃいけない、そういうpressureの元で、なんとかやり遂げたねと、同情的に「君の名」をみました.
「かたわれどき」のシーンは、短編作品のwetな描写に近くて、あそこは良かったですよ.
ただし隕石シーンは俗っぽくて「かたわれどき」の良い雰囲気をブチこわしてしまいましたがね.メジャー作品ゆえに仕方なかったと思いますが.
「天気」は微妙でした.
「すずめ」は見たまんまで、忙しない展開が最後まで続き、起承転結ならぬ起起起結になってました.宮崎の漁村みたいな場所から東京へ出てきて「はぇ~東京ってすごいわ~」みたくあっけにとられる描写も構想ぐらいは在ったと推測しますけど、尺の都合で全部削除した風に見えました.いろいろな要素を描きたいが発散しそうだから、次から次へとepisodeを詰め込んでギューギューにした(意図的に).「星を追う子ども」にならずに済んだが、あらすじ映画になっちまった.
5番目の男女関係について.あらすじになっちゃった原因とも言えます.
「すずめ」で違和感に終始したのが男女関係でした.
封印師は恋愛なんかにかまけてる暇なんかない多忙な大人です.JKのすずめとは最初から目線が違う者です.
新海の過去作品では思春期~高校生までのだいたい同じ年齢で、フワついた男女感覚同士の物語でした.それゆえ新海としても苦労なくキャラを動かせていたと思います.
例外的に「言の葉」が年増女だったけど、ユキノ先生はメンタルをやられていて「ちっとも成長できてないわ」との悩みを吐露していました.そこへ高校生なのにしっかり者の男子が「アンタはそんなだからダメなんだー」と喝を入れてユキノ先生を落とす.
「すずめ」が物足りないのは、封印師はすずめへの愛着なんてほとんど感じていない.すずめも封印師への愛が切実なレベルにまで上がっているのかというと、そうでもない.死んだ母親のビジュアルと封印師のビジュアルとすずめ自身のビジュアルと地震の恐怖が混ぜこぜになったラストは益々すずめの感情をボヤかしてしまっています.
新海的には、ラストで、母と男と幼児期の自分にぜーんぶケリをつける物語でガッツポーズなのでしょうけど、複雑化させ過ぎて中途半端な失敗に終わったと思うぞ.
かしこ
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