2022年12月21日水曜日

リコリス・リコイルの致命的欠陥という評論

リコリコについて面白い評論を目にしました.評者はちゃんとした文学等に関する高等教育を受けたらしき人物です.

この人の主旨は「リコリコには致命的欠陥がある.錦木千束が全然成長してないからだ」です.大変判り易いです.

この批評は古典的な作劇論に立脚しています.わたしはこのような古典論は好きです.なぜなら、古典論的な着眼に合格してからじゃないと、「深読み」みたいなテクニック論に入るべからずと思うから.
「すずめ」を褒めそやしている人々が犯している過ちはまさにこれです.あらすじ映画という欠点を素通りして、重箱の隅を探し回り、発見できた優秀箇所を挙げて大傑作と結論付ける無駄な努力に忙しい人々.悔い改めよ.
アナタの前にキモヲタが居て「爆発がイイんだよ」「百合だからイイんだよ」などと枝葉末節の議論から入って大傑作だなどと力説するヲタクを前にしたら鼻白んでしまうでしょう.

錦木千束が全然成長してないのは致命的欠陥なのかどうか?を考えてみます.

一般的に成長しないのは致命的欠陥だと思います.がっ、リコリコの物語構造からするとそれは致命的欠陥にはならないというのがヒラサカ説です.

大きく2つの理由があります.
 1)前日譚で成長を済ませたキャラだから成長とか不要
 2)錦木千束は一種の「魔性の女」だから成長とか不要

1)前日譚で成長を済ませたキャラだから成長とか不要
開始当初、錦木千束の達観した人格は謎でした.
DAの噴水前で失意のたきなを元気づけるシーンで見せた、相手の失意を解きほぐすテクは、まるで心理学セミナーのコーチみたいな見事さで、とても17歳のJKには見えませんでした.
その他にも「敵でも殺さない」「人助けをするのがあたしの役目」などと、女神positionがご完成なされたJKでいらっしゃる.
錦木千束の女神positionがどのように形成されたのかは、「人工心臓」「自分は死んだはずの人間」で次第に明らかになりました.
子供時代に人工心臓をもらって錦木千束は女神に開眼しそこが彼女の成長の終着点だったわけです.
追い詰められて吉松を撃っても決して殺しを容認したわけではなかった錦木千束は、最後まで女神positionを変えようとはしませんでした.

足立慎吾とアサウラがplotを構想する段階では、女神positionを断念する展開も考慮したかもしれませんが、わたしは女神positionのままで良かったと思います.理由は次の項目です.

2)錦木千束は一種の「魔性の女」だから成長とか不要
おっさんずラブの2名様は最後に殺し合います.決着をつける場面で二人とも、
 「俺達は錦木千束に狂わされたな」
と納得づくで相手を殺し、あるいは殺されます.このセリフは足立慎吾とアサウラにとって、ミカに喋らせるべき重要セリフだったんじゃないかな.つまり、魔性の女錦木千束が登場人物を狂わせるからリコリコの物語は駆動される.たきな然り、ミカ然り、吉松然り、司令然り、真島然り.
だから、魔性の女である錦木千束は変わっちゃいけないと思います.変わってしまう(狂ってしまう)のは周辺人物の側であります.

リコリコはそんなに猟奇的な物語だったっけ?と問われれば、わたしはイエスと答えます.
そこが面白いと思うんです.だって視聴者も錦木千束に狂わされたんだもん.

かしこ

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