「アリスとテレスのまぼろし工場」の感想3回目です。
モヤモヤが晴れました。
「アリスとテレス」は失敗作であるとの評価は変わりませんが、モヤモヤしてました。モヤモヤとは、「失敗ったって程度ってものがあるだろう」という想いです。
本作が「うる星やつらビューティフル・ドリーマー」に似てるとは誰でも思うでしょう。五美はラム+無邪鬼+獏なんです。
今日、「ナウシカ」に似てると気付きました。
漫画版ナウシカのラストでシュワの墓地が破壊されます。その場面には次の対立が在ります。
1)人類の滅亡を防ぐために1000年前の科学者は火の七日間で文明をほろぼし腐海を出現させた。シュワの墓地は宗教と戦争によって定期的に人類を間引く。
2)シュワの墓地が仕掛けた戦争のせいで間引かれようとしているナウシカは、腐海システムなんか知ったことかと、シュワを破壊する。
つまりこういう対立です。
1)シュワを維持すれば種としての人類の永続性は保証される。しかし間引かれる。
2)いつか人類が絶滅しようとも、今戦争で殺されるのはお断りだからシュワを破壊する。
ナウシカが巨神兵のビームを「此処に向かって撃て」と命じたとき、読者は「シュワを破壊しちゃうんだ、ぐぇぇ」と思ったことでしょう。
あのクライマックスは、環境・戦争・未来への責任・生命・実存 みたいなのがないまぜになっていて、哲学的に偉大なシーンなわけです。マンガ版ナウシカは偉大です。アニメ版はフツー。
随分と偉大なシーンを「アリスとテレス」に対比させるわけなのですが、、、アリスとテレスにおける最終的対立図式はこうです。
1)見伏は永遠の生が保証されたシャングリラである。代償として成長禁止、恋愛禁止である。
2)恋愛したい。成長したい。だからシャングリラなんか壊しちゃえ。
なんかナウシカっぽくない?
「永遠の生」の是非をテーマにするアニメなんかすごいじゃーん。
なのですが、不思議な事に岡田麿里は、永遠の生の是非論をやる気が無かった風に見えます。
あの父親が言うのは、
「このセカイが消えちゃうよ」
止まりなんです。
「永遠の生が保証されたこのセカイは最高だ」
とは一言も言ってない。
見伏住民の認識も、
「セカイが消えちゃったら困るよなぁ」
止まりであって、
「永遠の生がいい」
という積極的現状維持ではありません。
それで思ったわけ。「アリスとテレスのまぼろし工場」という作品は、ナウシカばりの鉱脈のすぐ手前に立っていたのに、岡田麿里がそれに気づかずスルーしちゃった失敗作だって。
ナウシカ 種としての永続性 vs 戦争反対
まぼろし 個人の永遠の生 vs 管理反対(リビドー成就)
↑岡田麿里はこれを見逃したんじゃないの?
永遠の生をぶち壊したら、おじいちゃんなんか死んじゃうかもしれないけれど、俺達は生を満喫したいんだっ!
主人公達にそう行動させたら、視聴者は「シャングリラを破壊しちゃうんだ、ぐぇぇ」と思ったことでしょう。
そうすればナウシカみたく哲学的深みのある作品になれたんじゃないのかな。
岡田麿里がそれを逃してしまって、いつもの「escape from秩父」になっちゃったのがわたしのモヤモヤだったのです。もったいねー
かしこ
>アリスとテレスのまぼろし工場
返信削除いろいろあって、映画は見に行けないのですが、
とりあえず Youtube にあがっていた「ファイナル予告」
https://www.youtube.com/watch?v=USwMAiuPsQI
は、見ました。(さすがに、「何も見ずに書くのは、忍びなかった」ので・・・)
あと、Amazonで「小説版」を注文しました。通勤時間の合間に、読んでみようと思います。
(なんか、「邪道」って言われそうですが、しょうがないです。)
「ファイナル予告」のコメント欄を見ると、結構、
・一回見ただけでは(情報量が多すぎて)分からないことが多すぎる
・もう、何回も見た
という人も多いのですが、半面、
・どこが面白いのか、全く分からなかった。
・久しぶりにつまらない映画だった。
と言うのもあって、
・見る人を選ぶ
映画なんだなと思いました。
(あと、「外国語コメント(本当に外人かは判りませんが・・・)」が、メチャクチャ多いですね。何なんだろう。)
主題歌が「中島みゆき」って・・・
「プロジェクトX」なのでしょうか?
(「今までにない新たな作品に、挑戦する」とか・・・?)
おおっ、小説を読んだら是非storyとセカイ観をお教えください。アニメよりも説明は多いと思うんです。
削除わかりにくいっつうても、2001年宇宙の旅よりは遥かに平易でした。
外人コメは、海外で公開されてないからってのはあるかもですが、岡田麿里って海外で有名なのかなぁ??? MAPPA制作で注目集めてるのはあるかも。
この作品を見て「サイコー」とか言ってる人はあまり健康で幸福な生活をしてないように思います。
>小説を読んだら是非storyとセカイ観をお教えください
削除ファイナル予告のコメントに、
・小説は、映画でよく判らなかったところが補足されていてよかった
というコメントが多かったです。あと、本人(岡田麿里)のインタビューで、
・小説は、脚本を書き終えてから書きました。あと、小説とアニメは「表現方法の違い」があるので、両方を見て欲しい。
のようなコメントがあったので、いつかは、映画(か、他のメディア)も見たほうがいいのかな、とは思っています。
何故か私は、「岡田麿里作品」には、縁があるみたいで、
・こどものじかん(これはまだ、岡田麿里が有名になる前(2007年)の作品ですが、私は結構気に入ってて、あとで「マリー脚本」と聞いて驚いた。ちなみに、喜多村英梨(彼女も、この頃はあんまり有名じゃない)も、主人公の声をやってます。)
・凪のあすから(まぁ、これは説明不要ですね。これもお気に入りの作品)
とか、結構見てました。
>わかりにくい
↑の2作もそうですが、岡田作品は、昔から、
・「わかりにくい」と言うよりも「誤解されやすい」
のではないかと思います。多分、感性が、いわゆる
・ふつ~の一般人
とは違う軸にあって、「ふつ~では有り得ないこと」
(表現方法とか、ストーリーとか・・・)を、やってしまうのだと思います。
※私も、「身に覚えがある」ので、つい見てしまうのかも。
アニメ業界には岡田麿里脚本で作りたい演出家や、岡田麿里に作らせたいPがなぜか多いみたいです。
削除「さよ朝」はPAWORKSのPが作らせたがって実現し、「さよ朝」を見たMAPPAのPが新作を欲して「アリス」を作らせたんだとか。
岡田はアニメ業界わらしべ長者かと思っちまうわたくし。
何100億円も稼ぐメジャー作品のお陰で岡田麿里のような日陰作品に少しだけ投資が廻っているのですから、わたしとしても「すずめクソ」みたいな発言は慎むべきですね。(ウソ)
>この作品を見て「サイコー」とか言ってる人
削除どうですかね・・・
(私の勝手な見方ですが)岡田作品って、いわゆる「ふつ~のハッピーエンド」っていうのは「絶対に」無くて、強いて言えば、
・後味の悪い
作品が多いような気がします。
※と言っても「バッドエンド」とも違う・・・うまく表現できないのですが、それでも、何故か、
・繰り返し見てしまう
「変な中毒性」がありますね。「見て安心」しないのに、何故か
・つい見てしまう
というか・・・
一回見たら「何回も見る魔法にかけられて」しまうのでしょうか・・・?
※多分、「岡田作品をつまらない」と、言い切れる人は、この魔法にかからない「何か」を、持っているのでしょう。
(あるいは、「魔法にかかる人」が、何かを持っているのか?)
以前に、
・「岡田麿里に作らせたい」「岡田麿里ならブランドになる」と燃えるPがポコポコ出てくる。
と、コメントされたと思うのですが、まさに、彼ら(プロデューサー)たちは、
・魔法にかけられた
のかも知れません・・・
↑に、書かれてましたね。(タイミングが悪かった・・・)
削除>どうですかね・・・
削除わかりにくくてすみません。言いたかったのは、
・「サイコー」とか言ってる人
は、全員
・マリーの魔法
に、かけられてるんじゃないの?
ということです。(私もそうかも。)
なので、
削除>あまり健康で幸福な生活をしてない
とも、違うのでは?という話です。
「海のトリトン」でポセイドン族を滅亡させた後でトリトンは知りました.「害虫なのは人間の方だった」.後味悪いです~.これを作ったのは富野由悠季でした.
削除漫画版「タイガーマスク」の最終回、伊達直人は交通事故で死んでしまいます.後味悪いです.
漫画版「デビルマン」では人類もデーモン族も滅亡してしまいます.胸くそ悪いです.
昭和40年代ってこんなのばっかでした.(笑)
現代のアニメはS40年代ほどムチャはやらなくなって、微妙な味ばっかりやってる脚本家っていうと岡田麿里と虚淵玄ぐらいかもしれませんね.
そういえば「南くんの恋人」(1986年)も読んだのを後悔するほど後味悪いのでした.ひ~
>昭和40年代ってこんなのばっか
削除そうそう。書き忘れてましたが、「岡田麿里作品」って、非常に
・昭和臭がする作品
が、多いんですよね・・・
(どうでもいい話ですが、「五番街のマリーへ」という歌がありまして、昭和の頃に、カラオケでいつも上司がこれを歌っていました。なので、どうも「マリー」と聞くと、つい、それを思い出してしまいます。岡田麿里が「マリー」と呼ばれるのも、「昭和っぽい」からでしょうか?)
>現代のアニメは・・・
「昭和のこの手のアニメ」って、例外なく、後味が悪いというか、見た後に、
・何かを考えさせられる
モノが多いんですよね。扱っている内容がそうだから、と言えるかもしれませんが。手塚アニメとかも「社会問題」をテーマにしているモノも多いし。「ゲゲゲの鬼太郎」とかも、この手合いだったのですが、作者が亡くなってからか、最近の作風(というか、まだ新作作ってるし)は、
・すっかり、今風
に、なってしまいましたが。
とにかく、こういう作品は、
・疲れてる時には、見れない(見てはいけない)
ですね。「元気を貰える」どころか「奪われて」しまいます。
>虚淵玄
削除(異論はあると思いますが)虚淵作品からは、私はあまり、
・昭和臭
を、感じないんですよね。「魔法少女まどか☆マギカ」とか。
※これも上手く表現できないのですが、「ホンモノの昭和作品」が、
・粗削り
であるのに対して、「虚淵作品」は、
・ソフィスティケート
されているというか、かなり「上品」に感じます。
※「昭和作品のリスペクト」ではあるが、ホンモノとは何かが違う。「ホンモノの昭和作品」には、何か「ドロドロとしたモノ」を感じるが、「虚淵作品」は、「っぽくはある」が、ちょっと違う。
(ちなみに、「岡田作品」には、ちゃんと「ドロドロとしたモノ」が、入ってます(笑)なので、こっちに元気が無いと「持って行かれそう」なので、(怖くて)あまり劇場で見たくないんだよな・・・)
>富野由悠季
削除なんか、彼も今や
・単なる老人
に、なってしまいましたね。やはり、昔のような作品は(「若気の至り」ではありませんが)
・若くて元気が無いと
作れないのかも知れません・・・今じゃ、絶対作れないな。いろんな(外的な)制約もあるし。
おはよーございます
削除岡田麿里=昭和臭 ←なるほどそれは謂えてます.
虚淵玄からはわたしも昭和臭を感じません.
>あまり劇場で見たくないんだよな・・・
なんとそれは岡田恐怖症を発見しましたー